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年間第21主日ミサ・説教「主よ、あなたをおいて…」 

本日の福音朗読(ヨハネ6章)は、弟子たちの多くの者が、「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか」と言ったということからいきなり始まっています。そのひどい話と言われたキリストのお言葉とは、「私の肉を食べ、私の血を飲む者は永遠の命を得る」とか、「私の肉はまことの食べ物、私の血はまことの飲み物」とか、非常に生々しいというか、はっきり言って、びっくりするようなものでした。先週日曜日に読まれるはずでしたが、聖母被昇天祭(8月15日)にあたったので、その祝日のための別の箇所が読まれました。 

今日の箇所に戻りますと、キリストは多くの弟子たちが去っていくのを見て、十二人の弟子たちに、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われますが、その時、ペトロは十二人を代表して、「主よ、私たちは誰のところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます」(ヨハネ6・68)と答えたのです。 

日本のカトリック教会では、ペトロこの言葉と、もう一つのペトロの言葉、「あなたはメシア(キリスト)、生ける神の子です」(マタイ16・16)とを組み合わせて、ミサのたびごとに、「主よ、あなたは神の子キリスト、永遠の命の糧、あなたをおいてだれのところへ行きましょう」という信仰宣言を聖体拝領前に唱えています。 

実は、この言葉を唱えているのは日本のカトリック信者だけで、他の国では、有名な百人隊長の信仰告白、「主よ、私はあなたをお迎えできるような者ではありません。ただお言葉をください。そうすれば私のしもべはいやされます」(マタイ8章ほか)に基づいた言葉が唱えられています。 

日本のカトリック教会でも、来年の待降節までにはミサ式次第の一部改定が行われて、この聖体拝領前の信仰告白も全世界共通のものに統一される見込みです。私は、この百人隊長のすばらしい信仰告白を、聖体拝領前の謙虚な心を表すものとして用いるようになることに何の異議もありませんが、「私をだれだと思うのか」、「あなたがたも離れていきたいのか」というキリストの問いに対するペトロの答えも捨てがたいものがあると思っています。 

さて、私たちはミサのとき、私たちのための命のパンとしてご自分のすべてを与えようとしておられるキリストご自身をいただきます。私たちに食され、私たちの生きる糧となることを望んでおられるキリストの聖体をいただくのです。キリストは、私たちを生かすための命のパンとなるべく、十字架の死に至るまでの生涯を生き抜かれました。聖体は、そのキリストの、この上ない愛の結晶であると言えるでしょう。聖体をいただくたびに、キリストのそのような生涯に思いを馳せることができれば幸いです。 

先週の日曜日に聖母被昇天祭を祝ったので、1回抜けて4回になりましたが、年間第17主日(7月25日)から始まったヨハネの福音書6章の連続朗読が本日で終わりました。その間、聖書朗読の内容に従って、聖体への理解を深める一助になればと願ってお話ししてきましたが、来週からはまたマルコの福音書に従って、キリストのご生涯の出来事を一つずつ、ご一緒に読み進んでいくことにいたしましょう。 

コロナ禍拡大への対応として、東京教区では、主日ミサの公開が本日(8月22日)から9月12日(日)までの4週間、自粛となりました。その間の説教は、プリントを聖堂に置くとともに、ホームページにもアップするようにします。 

☆山本量太郎 

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