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キリストの香り

2008年11月01日

シスター渡辺 和子 (ノートルダム清心学園理事長)

私とキリスト教との最初の出会いは、四谷雙葉中学校に入学した12歳の時です。その頃は特に何も感じなかったのですが、18歳になった時、自分自身の中の優しくない部分や、高慢さなどに嫌気がさして、古い自分を捨てて新しい自分に生まれ変わりたいと強く思うようになり、受洗を決心しました。戦時中でもあり、バタ臭い信仰を持つことに反対していた母に反発して洗礼を受けたという部分もありました。受洗を知った母は大変怒りましたが、その後何かにつけて「それでも貴女はクリスチャン?」と私に言い、その言葉が深く身にこたえました。今思うと私には「キリストの香り」が漂っていなかったということなのでしょう。それは、わずか1%のクリスチャンに対して99%のノンクリスチャンが言いたい言葉なのかも知れません。

聖パウロのテサロニケの信徒への手紙1・5章の中の「いつも喜んでいなさい。たえず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」はよく知られていますが、それに続く「これこそ神がイエスキリストにあってあなたがたに求めておられることなのです」という言葉こそが、クリスチャンである私たちに対して期待されていることではないでしょうか。つまり、「喜び」「祈り」「感謝」というキリストの香りが漂っているかどうか、常に思い起こして生きるよう求められているのです。

「いつも喜んでいなさい」。これは簡単なことではありません。どんな時も笑顔でいるのは難しいですが、「暗いと不平をいうよりはすすんで灯りをつけましょう」ということなのでしょう。人はみなそれぞれの十字架を背負っています。その上に自分の十字架まで背負わせることはしたくありません。他人の生活まで暗くする権利は誰にもないのです。「不機嫌」は環境破壊です。不快というダイオキシンを振りまく立派な環境汚染です。(笑)本当のいい笑顔は、決していいことの上にあるのではなく、苦しさという土壌の上に咲いた花のような笑顔のことだと思います。聖パウロの言葉は、数知れない苦しみの中から生まれた言葉です。苦しみに意味を見出し、神様がいらっしゃる限り、人生に無駄はないと思い定めるのが大切です。人生には「こんなはずではなかった」という落とし穴が沢山あります。思いがけずぽっかり穴があいてしまったときにどうするか?あけた人を恨む。穴をふさぐ努力をする。オカルト的な他力本願で対処する。いろいろありますが、私は、それまで見えなかったものが穴によって見えるチャンスだと思います。辛くても事実をしっかりと受け止めることでもあります。ある学生が、不妊になるかもしれない病気を経験して、苦しみ迷った末、婚約者にそのことを打ち明けました。婚約者は、「赤ちゃんを産める君と結婚するのではなく、君と結婚するのだ」と言ってくれたそうです。その学生は、「あの人生の穴がなかったら、私は彼と結婚しても彼の無条件の愛情を知らないままだったかもしれません」と言いました。プロテスタントの牧師でもある浅野順一氏の書いた「ヨブ記」(岩波新書)の中に、「暗くて深い井戸がある。まっくらだからこそ井戸の上の星が映って見える。暗ければ暗いほど、深ければ深いほど、肉眼では見えなかった美しいもの、貴重なものが見える」とあります。私は50歳の時にうつ病にかかりました。学長の仕事もしていたので大変つらく、修道者であるのに自殺も考え、神様を恨む気持ちにもなりました。そんなとき、ある精神科のドクター(プロテスタント)が言いました。「この病気は信仰とは関係がありません。罪悪感を持つ必要はないのです。必ずよくなります」と。もう一人の内科のドクター(カトリック)は言いました。「運命は冷たいけれど、摂理は温かいですよ」と。治りたい一心だった当時はよく分かりませんでしたが、今になってみると、「摂理の温かさ」というのは神のご配慮のことで、「あなたが必要としている恵みを受け止めなさい」という意味だったと思います。その後、うつ病にかかった人に対して、同じ病の経験者として、いたわり、つらさを分かち合うことができるようになれたのです。

「絶えず祈りなさい」という言葉ですが、マザー・テレサは「祈りを唱える人」ではなく「祈る人」になりなさい、と言いました。マザー・テレサが来日したとき通訳をしたのですが、74歳だったマザー・テレサが早朝から各地を移動し、たくさんのメディアに囲まれて、疲れているに違いないのに、いつもいい顔を見せていたのが不思議でした。後になってマザーは、「一つのフラッシュがたかれるたびに笑顔をするから、寂しく死んでいく一つの魂をみもとにお召しください、というお約束を神様としているのです」と言ったのです。これが「絶えず祈りなさい」ということだと思います。面倒なこと、煩わしいことを、笑顔で受け入れて祈りにする。どんなに忙しくても祈りと仕事を一つにできるのです。困っている人に手を差し伸べるとき、マザーは、笑顔とぬくもりと言葉かけを忘れませんでした。それは、一人一人の魂を相手にすることで、相手が失いかけていた人間らしさを取り戻すことができるからでした。

「どんなことにも感謝しなさい」という言葉は、管理職になって大変忙しくしていた私に与えられた、「天のおとうさま、どんな不幸を吸っても吐く息は感謝でありますように。すべては恵みの呼吸ですから」という詩に重なります。神様の愛は不幸を遠ざけるものでありません。人生の穴から見えなかったものを見せてくださる愛。苦しみにも意味があるとわからせてくれる愛です。相田みつを氏の詩にこうあります。「つまずいたり、ころんだりしたおかげで物事を深く考えるようになりました。過ちや失敗を繰り返したおかげで少しずつ人のことを温かく見られるようになりました。何回も追い詰められたおかげで自分の弱さとだらしなさをいやというほど知りました。裏切られたおかげで人の温かさを知りました。そして、身近な人の死に会うたびに人の命のはかなさと今生きていることの尊さを骨身にしみて味わいました」。~のせいで、と言わず、~のおかげで、と言うことで感謝が生まれるのです。思いがけない穴が気づきのチャンスだったように、物事には表と裏と両方あります。神の愛と摂理を信じていれば、当たり前のことでも、マイナスのことでさえ感謝につながるのです。キリストの香りは、クリスチャンでなくても、喜びと祈りと感謝のある人には漂うのです。そして、それは幸せになる秘訣でもあるのです。

「主よ、私をどこにいてもあなたの香りを放つものとしてください。私の中で輝いていてください。輝きは全てあなたからのもので、私からのものではありません。私の言葉ではなく私の行いによって、人々があなたの愛に気づくことができますように」。ヘンリー・ニューマン枢機卿の祈りの言葉です。私たちも、キリストの香りを馥郁(ふくいく)として漂わせられるように、毎日の生活の中に喜びと祈りと感謝を忘れないようにしたいと思います。

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