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年間第23主日ミサ・説教「エッファタ(開け)」

イエス・キリストが弟子たちと話し、民衆に語りかけた言葉はアラム語(アラマイ語)でしたが、新約聖書は最終的にすべてギリシャ語で書き記されたので、キリストが実際に語られたアラム語は、たった3個所しか福音書に残っていません。いずれもマルコ福音書ですが、まず5章の「タリタ、クム」(少女よ、起きなさい)であり、次に今日読まれた7章の「エッファタ」(開け)であり、そして14章の「アッバ」(父よ)です。 

「タリタ、クム」については既に今年の6月27日、年間第13主日で触れましたが、いずれの場合も、居合わせた弟子たちにとって生涯忘れられない言葉だったに違いありません。当然のこととして最初アラム語で語り継がれ、最終的にギリシャ語で福音書としてまとめられる際、これらの言葉だけは例外的にアラム語のまま残されたのです。その時のイエスの言葉の力強さが今日の私たちにも伝わってくるようです。 

耳が聞こえず舌の回らない人が、「エッファタ」の一言で耳が開き、話せるようになりました。皆が驚くすばらしい出来事でした。しかし、マルコの福音書の文脈をたどっていくと、今日の場面(7章)は、もっとはるかに大きなことを指し示す「しるし」となっていることが分かります。あえて言えば、「ほんのしるし」です。それでは、マルコ福音書が、はるかに大きなこととして伝えているのは何でしょうか。それは、次の章(8章)に記されているペトロの信仰宣言なのです。ペトロは、耳が開いてイエスの言葉を神の言葉として聞くことができ、口が開いて、「あなたはメシアです」と信仰告白することができました。神の言葉を聞くことができるようになる、神への信仰を宣言することができるようになる、そのはるかにすばらしい出来事をあらかじめ指し示す「しるし」として、マルコ福音書は今日の「エッファタ」の出来事を位置づけています。 

確かに、「エッファタ」の出来事は起こりました。しかし、今日の福音は、2千年前にこのような出来事があったということを伝えているだけではありません。ミサに集う一人一人の中にも、同じようにすばらしいことが実現している、と告げているのです。では、そのすばらしいこととは、何でしょうか。    

ミサの時には、今日でしたら「マルコによる福音」と言って読み始めます。「マルコによる福音書」とは言いません。なぜなら、「福音書」という書物の朗読をとおして、何より「福音」が告げられるからです。そして、「福音」が告げられるとき、私たちの心の耳が開かれ、「福音書」の朗読を「福音」の宣言として聞くことができる、というすばらしいことがミサのたびごとに実現しているのです。 

それだけではありません。心の耳に届いたキリストの福音に答えて、私たちは、「父である神を信じます。主キリストを信じます。聖霊を信じます」と宣言することができる、というすばらしいことも、ミサのたびごとに実現しています。私たちは耳が開いて神の言葉を聞けるようになっただけでなく、口が開いて話せるようになって神への信仰を宣言することもできるようになっているのです。 

日々の生活の中でも、特にミサに集まることができない状況の中でも、「エッファタ」(開け)というキリストのお言葉が私たちの耳を開き、私たちが神の言葉に耳を傾けることができますように、そして、私たちの口が開き、私たちが言葉と行いをもって信じる心を表していくことができますように。 

☆山本量太郎 

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