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四旬節第3主日ミサ説教「井戸端会話」

今日の「サマリア人の女性」の話だけでなく、聖書には何回も「井戸」(直訳では「泉」)の場面が出てきます。それで、以前いた教会で、私はある時、子供たちに「井戸」の話をしました。すると、何人もの子供が、井戸を一度も見たことがないと言うのです。 

現代の都会では最早、井戸で水を汲む機会はまずありませんが、不思議なことに「井戸端会議」という語が、日常会話の中に生き残っています。もちろん、それが「井戸端」、すなわち井戸の周りで行われているわけではありません。もともとは、井戸端などで近所の女性たちが水くみや洗濯などをしながら、人の噂や世間話をすることをからかって言った言葉でしたが、現在では、転じて、女性たちの長めのおしゃべりを指しており、最も多く行われる場所は、井戸端ではなく道端だそうですから、「道端会議」と言わなければならないのかもしれません。 

井戸端会議のために一言弁護しておきます。それが会議でしたら、どうしようもない会議ですが、会議ではないのです。それでは何でしょうか。情報交換の場でしょうか。確かに、そこでは多くの情報交換が行われ、その情報は間違いなく広まっていきますが、そこにも井戸端会議の本質はありません。それは、人間に与えられている言語というすばらしい能力をおしゃべりという形で味わう場なのです。噂話とか陰口とか、結構重い副作用が伴いがちなのはとても残念ですが、おしゃべり自体は人間だけができるすばらしいものではないでしょうか。 

井戸端は大昔から、人と人との会話の場、出会いの場として、大切な役割を果たしてきました。でも、今日のサマリア人の女性は、近所の女性たちの井戸端会議には加わりたくなかったようです。それで、近所の人たちが皆、自分の家で食事をしていて、井戸端には来ない正午頃に、水を汲みに来たのではないでしょうか。一方、弟子たちは食べ物を買うために町に行っていました。こうして、思いがけなく、彼女はイエスと一対一で出会うことになり、井戸端会議ならぬ「井戸端会話」が実現したのです。 

イエスがサマリア人の女性に、「水を飲ませてください」と頼みます。そこから、二人の井戸端会話が始まりました。二人の会話は深まっていき、サマリア人の女性のほうから、「渇くことのない水を飲ませてください」と頼むに至ります。当時、ユダヤ人とサマリア人は犬猿の仲でしたし、男性が見知らぬ女性に声をかけることなど考えられなかったし、その上、その女性は評判が悪く仲間外れだったようですから、二人が話しをしていること自体、驚き以外のなにものでもなかったはずです。 

でも、今日の「サマリア人の女性」の話は、2千年前に、このような忘れ得ぬ出来事があったということを伝えているだけではありません。復活して今も生きておられるキリストが、渇くことのない水を私たちに飲ませるために、思いがけない所で私たちを待っていてくださること、そして、私たちは人生の途上において、そのキリストと出会うことができ、その出会いを深めることができ、そして、永遠の命に至る水をいただくことができるということを告げているのです。 

この話は、来週読まれる「生まれつき目の見えない人のいやし」の話(ヨハネ9章)、再来週読まれる「ラザロのよみがえり」の話(ヨハネ11章)とともに、洗礼志願者たちがキリストとの出会いを深め、信仰の決断をするのを助けるために、古代から四旬節中に読まれてきました。サマリア人の女性がイエスと出会い、その出会いを深めていったように、復活祭に洗礼を受ける予定の方々が、キリストとの出会いをいっそう深めていくことができますように、祈りたいと思います。 

☆山本量太郎 

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