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四旬節第一主日ミサ・説教「40日の断食」

イエスさまはある時、40日の断食に挑戦しました。もうちょっとで40日というところまできて、おなかがすいてたまらなくなり、悪魔に石をパンに変えて食べたらと誘惑されました。でも、立派にその誘惑に打ち勝ち、40日の断食をやり遂げました。さすがは神の子イエスさま。私は子どものころ教会学校の紙芝居で見た時の印象をもとに、イエスさまの荒れ野の誘惑の場面をこのように理解していました。

子どものころは何の疑いもなく文字通り受け入れていましたが、思春期になると、こんな話はほんとうにあった話ではないのではないかという疑問が頭をもたげ、次第に作り話に違いないと心の中で思うようになり、ついには、聖書をろくに読んでもいないのに、信じられなくなってしまいました。でも、そんなことは教会でも家でもおくびにも出さず、ただ黙って我慢して毎週日曜休まずにミサにだけは家族の手前通い続けました。そして、大人になって家を出たらカトリックをやめてやると、密かに心に決めていたのです。

ところが、ちょうど高校を卒業したころ、今にして思えば、第二バチカン公会議が終わったのです。教会の雰囲気が変化し始めました。それまでラテン語だったミサが次第に日本語に変わっていき、カトリック教会でも、聖書研究会とやらが行われるようになったのです。それである時、ふと出てみようと思いました。出て、本当によかったです。

その聖書研究会で扱われた個所の一つが、今日の荒れ野の誘惑の場面でした。正直なところ、びっくりしました。指導してくださった神父さまは、私が子どものころから持ち続けてきた印象をいとも簡単に崩してしまいました。聖書には、「40日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた」と書いてあるというのです。その通りでした。ですから、パンを食べろという悪魔の誘惑は、40日の断食が終わった後の話だったのです。イエスさまは立派に断食を成し遂げられた後なのですから、もうご飯をたらふく食べてもよかったのです。

それなのに何故イエスさまは悪魔の誘惑を退けなければならなかったか、というのがその日のテーマになりました。福音書は一方、5つのパンで5千人の飢えをいやした話を伝えています。そのような神の子としての特別な力をもつイエスさまが、石ころ一個をパンにすることくらい、たやすかったにちがいありません。それなのに、なぜ、なさらなかったのでしょうか。

その日の聖書研究は結局、イエスさまの生涯を福音書でたどることになりました。そして私は、イエスさまの一貫した生き方を発見することができたのです。それは、イエスさまが一度たりとて自分の持っている神の子としての特別な力を自分自身のためには使わなかったということでした。最後の場面にたどりついたときは、感動しました。「他人は救ったのに自分は救えない。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう」と言われても、イエスさまは十字架から降りなかったのです。神の子としての自分の力を最後まで自分のためには使わなかったのです。こうして、救い主としての生涯をまっとうされました。

そのような生き方をまさにこれから始めようとしているとき、どうして自分の空腹をいやすために、神の子としての自分の力を使うことができるでしょうか。それだけはできなかったにちがいありません。

私はそのようなイエスさまの生き方に次第に強く魅力を感じるようになっていき、気が付いたときには、神学校に行きたいと思うようになっていました。おとぎ話のような聖書など信じられない、大人になったらカトリックは卒業だと思っていた少年が、自分でも未だに信じられないのですが、司祭になって40年以上たった今も、荒れ野の誘惑の場面を読むたびに、こうして熱っぽく語っているのです。

☆山本量太郎

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