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復活の主日・説教「アレルヤ-復活の喜びの叫び」 

2020年04月11日

今年はかつてない、一緒にアレルヤを歌うことができない復活祭となりました。でも、これまで毎年集まって歌ったことを思い起こしながら、そして、来年は必ず集まって歌うことができると信じながら、アレルヤと詩編118について触れたいと思います。 
カトリック教会では、四旬節の間、アレルヤをいっさい控えます。そして復活徹夜祭のミサで久しぶりに、正確にいうと実に46日ぶりにアレルヤを歌うのです。 

アレルヤは、もともと旧約聖書のヘブライ語で、「主をほめたたえよ」という意味ですが、キリスト教では最大級の喜びを表現する言葉として、訳さないで、アレルヤのまま用いています。もっともアレルヤはラテン語的な発音で、ハレルヤのほうが原語のヘブライ語の発音には近いでしょう。カトリック教会のミサでは、福音朗読の前に、アレルヤ唱という短い歌を歌って、福音をこれから聞く喜びを表すのです。 

私は毎年、この復活徹夜祭でアレルヤ唱を歌うとき、感動を覚えます。そして、その復活徹夜祭のアレルヤ唱がひときわ素晴らしく感じられるのは、その歌詞が詩編118からできているからだと、ますます確信するようになりました。 

最後の晩さんの後、「一同は賛美の歌を歌ってから、オリーブ山へ出かけた」とマルコ14章26節にありますが、それが過越の食事であったとすれば、イエスと弟子たちが声をそろえて歌った賛美の歌は、必ず詩編118で結ばれたことでしょう。詩編118が、イエスが弟子たちとともに声を出して歌った最後の歌と言われる所以であります。 

イエスはその最後の歌にどのような思いを込めて歌ったのでしょうか。詩編118は、「神をたたえよう。神はいつくしみ深く、そのあわれみは永遠」で始まります。主は、迫り来る受難を前にしてそう歌ったのです。そして、「私は死なず、私は生きる、神のわざを告げるために」と続け、さら、「家造りの捨てた石が隅の親石となった。これは神のわざ、人の目には不思議なこと」と歌ったのです。 

イエスが最後にお叫びになったのは、「わたしの神、わたしの神、なぜわたしをお見捨てになるのか」で始まる詩編22だと一般には思われているが、そうではないのではなかろうか。捕まる直前に歌ったこの詩編118こそが、ゴルゴタの丘をのぼる間も、いや、十字架につけられた後でさえも、イエスの心の中で何回も繰り返されたにちがいない、とわたしは密かに思い続けています。そうであるならば、イエスは今わが身に起こっていることを通して、「家造りの捨てた石が隅の親石」となること、さらには十字架の死さえ超えて「神のわざを告げるために生きる」ことの確信をいっそう深めたことでしょう。 

そのイエスの父なる神への信頼は裏切られませんでした。復活徹夜祭のアレルヤ唱は、まさにそのことを私たちに伝えるものです。今まさに復活されたキリストが私たちの真ん中に立ち、「わたしは死なずわたしは生きる。神のわざを告げるために」と、私たちとともにアレルヤ唱を歌っておられるのです。 

そして、私たちは翌朝、復活祭の朝のミサに集まり、アレルヤの喜びに満ちたミサをささげます。そのミサの答唱詩編には、詩編118からなる「きょうこそ神がつくられた日」が歌われます。こうして、詩編118は、復活節の間、たびたび歌われていきます。「復活詩編」という別名が付いているほどです。よろしかったら、ご自分の聖書で詩編118をゆっくりと味わってみてください。 

今はともに集まることができない私たちですが、その私たち一人ひとりのうちに、今も復活のキリストがともにおられることに思いをいたし、主の復活の喜びを新たにすることができますように。 

☆山本量太郎 

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