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1月のメッセージ

月報 第560号

「主のご降誕と新しい年を迎え 心よりお慶び申し上げます」

福島 一基 (カトリック成城教会主任司祭)

冒頭の挨拶の言葉ですが、もちろん昨年の地震や津波などの自然災害において被災した多くの方々の心情を軽視するつもりではありません。でも新しい時を迎えることが出来たのは決して悪いことではありません。そして何よりもこの恵みを与えた神さまに対する気持ちを自粛する必要もありません。こんな時だからこそ、わたしたちカトリック教会は「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」という使徒パウロの言葉を自らの生活の中で証ししていかなければなりません。どんなに驚愕するような脅威にさらされても、与えられた命を全うするまで喜びをもって歩み続けていく決意を新たにしたいものです。

さて、本音を語り合うことが大切なのだと言うのですが、本当でしょうか。本音で話し合えばわかり合えるものなのでしょうか。お酒で酔っ払ったときに本音が出ると言いますが、お酒を飲み合えばよい関係を築くことが出来るのでしょうか。言いたいことを言い合うことは逆に傷つけ合うことになってしまうのではないかと心配になります。かくいうわたしも皆様とは出来るだけ本音でつき合いたいと思っているところではありますが、人によっては言葉づかいや気のつかい方をまちがえ、ご迷惑をおかけしたこともあります。嘘をつくつもりはありませんが、本音を語るときには注意が必要であると感じます。

最近聖書の分かち合いなどが教会の中でも盛んに行われています。自分の感じたこと、思っていることを本音で語り合い、その中で新しい気づきが与えられることが多々あります。わたしもよく青年たちとそのような場を作っているのですが、「決して人の意見を否定しないこと」というルールが必ずつきます。そうではないと安心して本音を語ることができないからです。でもこのルールの下、他人の意見だけを長々と聞き続けなければならないときもありますし、まったく納得できない発言に悶々としてしまうこともあります。なかなか難しいものです。

そこで大切なのは「ゆるし合い」なのではないかと思います。もちろんゆるすだけではなく、ゆるしてもらうことも含めてようやく人間は本音で語り合うことが出来、信頼関係を築けるのではないかと思うわけですが、いかがなものでしょう。わたしたちはなかなか「ゆるす」ことが実行できないと感じていますが、実はそれ以上に「ゆるされている」という実感はあまり感じていないのかもしれません。

なぜわたしたちが新しい年を喜べるのか。それは何よりも「ゆるし」を与えられているからにほかなりません。今までの様々な罪がゆるされているからこそ、今があるのです。そして自分もあるのです。イエスさまはそれを伝えるためにこの世においでになったのです。何よりもゆるし合う共同体を目指し、今年も皆様と歩みたいと願います


月報1月号
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