3月のメッセージ
月報 第538号「献げもの」
福島 一基 (カトリック成城教会 主任司祭)
子どもの頃、ミサでの献金は母親からもらいました。10円です。献金袋が回ってくるとそこに入れるのを楽しみにしていました。しかし少し成長してからは、自分のお小遣いから出すように教えられました。たしか小学校3年の時には月に200円もらっていたと思います。その中から毎週10円、すなわち1ヵ月に40円を出すのは頭の悪いわたしでも分かる厳しい出費です。旧約聖書には献げものは収入の10分の1と規定されておりますが、それをはるかに上回る金額を出さなければならないのです。それからというもの、ミサのときはできるだけ侍者をしようと決めました。なぜなら侍者の席には献金袋が回ってこないからです。
いつも教会にいる熱心なおじさん、いつもミサの先唱者や聖書朗読などを務め、ミサの前には香部屋で侍者の服を着せ、何かと奉仕している方です。どこの教会にもいると思います。わたしは侍者をしながらそのおじさんが献金するのを目撃してしまいました。さっと財布から500円札を取り出し、迷うことなしに献金袋に入れたのです。子どものわたしにとっては衝撃的でした。10円入れるのも惜しいのに、大人とはいえ500円も入れている人がいるなんて。もちろんもう30年近く昔の話です。
もっと皆さんに献金してもらいたいと思ってこんなことを書いたわけではありません。ただわたしたちは何のために献金をするのか、そこに疑問を持ったからです。献金とは字の通り、神様にお献げするお金です。なぜ神様にお献げしなければならないのでしょうか。わたしたちにすべてを与えてくださった神様への感謝と賛美のためです。すべてを与えていただいたのでしたら、すべてを神様にお返ししなければならないのですが、なかなかできません。持っているものの中から、できるだけのしるしとしてお金をお献げします。しなければならないから献金するのではありません。当然のこととしてお献げするのです。
だからたとえ大金を献金したところで自慢することはできません。またすべてをささげてもそれは当たり前のことなのかもしれません。すべては神様にいただいたものなのですから。お金だけではなく、わたしたちはこの神様にどれだけをお献げできているのか。徴税人のように「神様、罪人のわたしをあわれんでください」と胸を打ちながら目を上げることもできないはずです(ルカ福音書18・13)。それでも神様は少しの献げものを大きな愛でお返ししてくださるでしょう。





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