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主の昇天の祭日のミサ説教「時空を超えた神秘」 

主の昇天の祭日の、不動の第一朗読である使徒言行録の冒頭(1章)には、「イエスは天に上げられ、彼らの目から見えなくなった。イエスは離れ去って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた」とあります。そこには、イエスが見えなくなった、イエスは離れ去って行かれたと記されていて、弟子たちには、不在のさびしさと別れのつらさがあったのではないかと思うのが当然かもしれません。しかしながら、マタイ、マルコ、ルカの共観福音書が伝える主の昇天の場面には、不在のさびしさ、別れのつらさは、みじんもないのです。ルカ福音書(24章)の昇天の場面には、弟子たちが大喜びだったとさえ書かれています。 

マルコ福音書(16章)の昇天の場面を見ますと、そこには、天に上げられ、神の右の座に着かれた主キリストが、同時に、至るところで宣教に励む弟子たちと共に働かれた、と記されています。天におられる御方が地にあって弟子たちと共にいてくださる、すなわち、イエスは今や場所や空間を超えた御方として共におられるのです。 
それで、復活ろうそくを昇天祭のミサの福音朗読後に消して、キリストの昇天をいわば空間的に表現するという慣行は50年ほど前、第2バチカン公会議後の典礼刷新にともなって廃止され、復活ろうそくは復活節最終日である聖霊降臨祭まで灯し続けられるようになりました。 

本日読まれるマタイ福音書の昇天の場面(28章)は、「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」というキリストのお言葉で締めくくられています。天に上げられたキリストは、空間だけでなく時間をも超越した御方なのです。時間も時代も超えて私たちと共にいてくださいます。そもそも、主の昇天を復活の40日後の出来事として記しているのは、使徒言行録だけです。使徒言行録と同じ著者によると言われるルカ福音書でさえ、昇天は復活と同じ日に起こったように記しています。ですから、現行の典礼暦では、主の昇天の祭日を復活後40日目の木曜日に限定していません。その3日後の復活節第7主日に移して祝うことが許され、現に日本の教会でも主の昇天を日曜日に祝っているのです(そのため、日本の教会には復活節第7主日がありません)。 

私は幼少期にイエス・キリストの復活と昇天のことを教会で教わりました。子ども心に素朴に信じていましたが、それにしても、復活されたキリストは、弟子たちに現れていないとき、40日もの長い間、いったいどこに隠れていたのだろうかという、子どもらしい疑問が幾度となく頭をもたげたことでした。そして、思春期を迎える頃には、このような話はおとぎ話のように思えて信じられなくなっていました。でも、教会にだけは通い続けましたが、通い続けてよかったと、つくづく思います。大人になって聖書を読む機会に恵まれたからです。そして、空間的な表現である「昇天」が、実は空間だけでなく時間も超えた神秘を指し示していることに気づかされていきました。復活のキリストは場所も時代も超えて私たちと共にいてくださる、弟子たちがこのことを心から受けとめることができた時、それが昇天の時にほかならなかったのではないでしょうか。だからこそ、そこには別れのつらさも不在のさびしさもなかったのです。昇天は、復活という偉大な神秘の一つの側面ということができるかもしれません。 

昇天祭は、キリストの復活が何よりも「時空を超えた神秘」であることを明らかにします。そして、「主の昇天にわたしたちの未来の姿が示されています」と祈り、わたしたちは、人類がそのすばらしい神秘に招かれているという確信を新たにすることができるのです。 

☆山本量太郎 

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