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復活節第5主日ミサ説教「しるしと秘跡」

私たち人間には、見えないものは、見えません。ですから、「こころ」は、見えません。とても大切なものが、見えないのです。それでは、人間はどうやって、その大切な「見えないこころ」を伝えることができるでしょうか。その時は必ず「見えるしるし」を使います。「しるし」は、必ず「見えない何か」を指し示すものだからです。 

私たちは、「見えない感謝のこころ」を伝えたいと思ったとき、プレゼントという「見えるしるし」を贈るかもしれません。そして、その贈り物を差し出すとき、「ほんのしるしですが…」と言ったりします。それは、「見えない感謝のこころ」が、「見えるプレゼント」とは比べものにならないほど大きいからです。 

さて、「神さま」は、見えません。ですから、私たち人間は、見えない神さまを見ることができません。でも、神さまは、そのことをもちろんよく分かっておられますから、私たちが分かる仕方でご自身を表してくださいました。「見えない神」の「見えるしるし」を私たちに与えてくださったのです。 

それは、見えない神さまのすべてが分かる、すばらしい完全なしるしでした。イエス・キリストです。今日の福音(ヨハネ14章)で、イエスは、「私を見た者は、父を見たのだ」とおっしゃっています。イエスを見た者は神を見たのだ、ということにほかなりません。 

目に見えるイエスと何年も行動を共にしてきた弟子たちは、その言葉を聞いて、じゅうぶん納得できたことでしょう。でも、イエスは、まもなく、目に見えない仕方で共にいることになるということが分かっていました。そこで、目に見えないキリストを目に見える仕方で表す「しるし」を残してくださいました。それが実は「教会」なのです。 

カトリック教会には「秘跡」という専門用語がありますが、その根本的な意味は、「見えない神を見えるものとして表すしるし」であると、私は入門講座で説明することにしています。イエス・キリストは、目に見えない神の、目に見えるしるしですから、根本的に「秘跡」であり、「教会」は、目に見えないキリストを目に見えるものとして表す、土台となる「秘跡」なのです。 

それでは、教会はどのようにして、その目に見える秘跡としての役割を果たしていくことができるのでしょうか。それが、伝統的に「七つの秘跡」と呼ばれて大切にされてきたものです。七つとは、洗礼、堅信、聖体、ゆるしの秘跡、病者の塗油、婚姻、叙階のことですが、その中で、洗礼は「第一の秘跡」と呼ばれています。洗礼を受けたキリスト者なしに教会は成り立たないからです。洗礼は、他の六つの秘跡の、いわば前提なのです。それで、教会は洗礼式をとても大切にし、できるだけ復活祭に盛大に行うようにしていますが、今年はご存じのようにまだ行えないでいます。早く洗礼式が行えますように、その日を待っている洗礼志願者の方々のために祈りたいと思います。 

また、聖体は七つの秘跡のうちにあって、「中心的な秘跡」と伝統的に言われています。ミサに集まって共に聖体、すなわちキリストの御からだと御血を分かち合うとき、目に見えないキリストが最も目に見えるものとして表されるからです。それは、教会の力の源泉であり、また活動の頂点なのです。私たちは今、その中心的な秘跡にあずかることができないという、とても辛い時期を過ごしています。どうか、ミサに集まり、共に聖体を分かち合う日が早く来ますように。 

☆山本量太郎 

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