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待降節特別講話―宣教地召命促進の日にちなんで―

12月1日(日)待降節第一主日10時のミサに先立ち、アドベントのろうそくの1本目に火が灯されました。そしてミサは、「あけましておめでとうございます」という宣教協力体の町田教会林正人主任司祭のあいさつで始まりました。

説教では、先日来日されたフランシスコ教皇の東京ドームのミサに触れ、残念ながら抽選にはずれた信徒もミサの様子をうかがい知ることができました。さらにアドベントとは直訳すれば到来するという意味であり、私たちの姿勢にかかわらずイエス様は来て下さるが、たた待っているだけではなくアドベントする、こちらから出向いていくことが大切である、教皇はまさしくそれを実践されていると説き、待降節を迎えるにあたっての心の準備を促しました。

ミサ後の林神父による待降節特別講話は、12月1日が宣教地召命促進の日であることにちなんだ話でした。まず、15世紀の大航海時代に始まり明治に禁教が解かれるまでの略年表と「日本における信教の自由」「カトリック教会における信教の自由と政教分離に対する考え方」と題するカトリック中央協議会のホームページの文章が掲載された資料が配付されました。

講話は、年表に概略が記されている出来事の解説で始まりました。ポルトガルとスペインが相次いで日本に宣教活動を行ったこと、信長は一向一揆対策と貿易のため宣教を歓迎したこと、秀吉は当初は貿易のため容認していたものの、大名が次々信者になることに危機感を抱き禁教令を出したこと、さらに庶民に対する宣教も禁じ26聖人の悲劇が起こったこと、続く家康も同様の姿勢であったことなど、「日本史のおさらいですが」とことわりながら話が進みました。

そして、徳川の世から明治まで禁教は続き、日本での宣教は一時断絶したが、そこにどのような意味があったのだろうかと林神父は疑問を投げかけました。秀吉、家康の頃、宣教は侵略とセットで、他の国はまず侵略され、その上で布教活動が行われた、武力があったため侵略と布教の順番を逆にしようとしたが、禁教したことで日本は侵略を免れた、殉教された方々にはたいへん申し訳ないが、禁教によって日本という国は守られたとも言えるのではないかと語りました。

その上で、宗教は政治・国家と一体となってはならない、政治的な力に頼ってもいけない、純粋に福音の勧めに従い、マザー・テレサがそうであったように、今ここにいる一人ひとりに向かって行くことこそが宗教の役割ではないかと諭しました。また、政教分離という言葉は、政治は政治、宗教は宗教とお互いに関わりを持たないという意味ではなく、私たち一人ひとりはイエス様の福音に照らして、国や政治への発信をむしろ積極的に行い、チェックすべきであるという力強い言葉の後、アヴェ・マリアの祈りで講話は終了しました。

信仰についてだけでなく、歴史を違った側面から見ることの重要性、また歴史に学ぶことの大切さを実感した1時間でした。

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