3月のメッセージ
月報 第607号「神のはからいは限りなく」
福島 一基 (カトリック成城教会 主任司祭)
成城教会の司祭館の窓から見えるいつもの風景を眺めながら、少しこの8 年間を振り返っています。最後の巻頭言のネタとして、何か一番強烈に思い出に残っているものがあるのだろうかと巡らしてみても、案外ぱっと浮かんでくるものはありません。文化教室の閉園、信徒会館と園庭の改装工事、共同墓所の移設、地区別運営開始、東日本大震災、聖堂内装と鐘楼改装工事、喜多見教会との合同など、特別なことも結構ありました。また復活祭やクリスマス、Welcome Day などの年間行事、通常のミサや葬儀や結婚式などの典礼活動、コーヒーサンデー、教会学校、中高生会、地区集会やサークル活動、聖書講座や入門講座、病床訪問などなど。あげればキリがありませんが、何か大切なことを忘れているような気もします。
何度も話してきましたが、わたしは自分の希望で成城教会に来たわけではありません。大司教様からの命令です。命令と言うよりは、大司教様から強くお願いされたというところが妥当かもしれません。大司教様のお願いはイエス様のお願いです。それでも正直に言えば、このお願いに当時は本当にひるみました。まだ叙階して10 年も経っていない若僧に務まるのかと。いったん引き受けた後は目の前にあることを夢中でこなしてきたといった感じでしょうか。大先輩である成城教会の元主任司祭、市川裕神父様が司祭叙階50 周年を迎えられたとき、「夢中になっていたらあっという間に時が過ぎ去った」とおっしゃっていましたが、今わたしもその思いが少しは理解できます。すべては神様の計らいにあるのでしょう。
「神のはからいは限りなく、生涯わたしはその中に生きる」。典礼聖歌でよく歌う聖句です。確かにこの8 年だけが神の計らいではなく、わたしが母親の胎に宿ったときから死を迎えるときまで、この計らいの中に生きることになるのでしょう。また成城教会も同じであり、成城教会信者の皆さんもそうなのです。わたしが他の教会へ異動しても、またわたしが死んだとしても、この計らいは救いが実現するまで限りなく続くことでしょう。そしてわたしたち教会は、この計らい、すなわち救いの計画を信じ、またそれに奉仕することを喜びとし、務めとします。教会だけでなくすべての活動は神様の計らいの中にあるのです。
最後に、8 年にわたりこの計らいに奉仕し、ともに歩んでくださった成城教会信者の皆さまに心より感謝申し上げます。今後もわたしが司祭として、神の計らいから逃げることなく職務を全うしていくことができるよう、たまに思い出してお祈りください。





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