2月のメッセージ
教会報 第572号「子どもは教会の宝」
福島 一基 (カトリック成城教会 主任司祭)
今年も正月は家族全員が集まりました。両親とわたしを合わせた姉弟が4 名。またわたし以外の姉弟にはそれぞれ伴侶と子どもが2 人ずつなので、合わせますと15名の人間が狭い我が家に集まります。わたしが子どもの頃から賑やかな家族でしたが、幼い甥や姪が集まりますと賑やかさは、やかましさになります。ゆっくりしているのは独身のわたしと父親くらいで、他は子どもの世話でバタバタとしています。ここのところ一足先に家に帰り、みんなが集まってきたところを見計らい、甥・姪にお年玉という義理を果たし、脱出してくるのがパターンとなっています。
きっと正月にしか会わないわたしを、甥や姪は無口で愛想のない怖いおじさんだと思っているに違いないでしょう。わたしの前に来ると緊張しているようです。それでも一応神父だということは理解しているようで、はじめとお年玉をもらう時だけ「おめでとうございます」「ありがとうございます」と小さな声でこたえますが、目はけっして合わせません。仕方のないことかもしれませんが、少し寂しさも感じます。こちらも少しぐらいサービスしてあげればいいのでしょうが、最近その元気もなくなってきました。
子ども嫌いを公言していますが、自分の甥や姪を愛せないで、他の子どもを愛せるのかという疑問を持ちます。最初に甥が生まれた時、うれしさと共に他の子どもにはない愛情が芽生えたのは事実です。しかし半日あずかっただけでその大変さを痛感し、育児や教育の難しさを感じ取りました。自ら独身と、自分の子どもを持たない生き方を選んだ者として、ただ可愛がるだけでは育児にあたる方々に失礼に当たるのではな いかと思うのです。子どもの可愛い外見の裏には、親の偉大なる苦労があるのです。子育ての苦労を知らないわたしは、子どもに嫌われる程度がちょうどいいくらいです。
とはいえ、神父が子どもに嫌われてしまっては、子どもが教会に寄りつかなくなってしまいます。将来を考えますと、子どもは教会の宝であることは間違いありません。もちろん教育も大切ですが、まず愛を注ぐことこそキリスト者として大切にしなければならないことでしょう。限られた時間であっても、なるべく共有すること、共にいることが何よりも大切だと考えます。どれだけ子どもたちと一緒に居てあげられるか。そうでなければ愛も何も始まりません。
来年の正月は酒ばかり飲んでいないで、できるだけ子どもたちと過ごすようにしてみます。





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3月のメッセージ
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