8・9月のメッセージ
教会報 第643号「聖体拝領・小考」
山本 量太郎 (カトリック成城教会 主任司祭)
わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物である」と、キリストはおっしゃいました(ヨハネ6章)。いきなり聞いたら、ひどい言葉だと思うに違いありません。事実、多くの弟子たちはこの話を聞いて、「実にひどい話だ」と言って、キリストのもとを去っていきました。理解することができたのは、最後までついていったごくわずかな弟子だけでした。最後の晩さんの時、キリストはパンを12人に渡して「わたしの体を食べなさい」、次いで、ぶどう酒の杯を回して「わたしの血を飲みなさい」とおっしゃいました。キリストは、人の肉を食べたり、人の血を飲んだりしなさいと言ったわけではなかったのです。しかし、それはキリストの死と復活を経験して初めて分かることでした。
「からだ」は、聖書の世界では、出会える存在としてのその人そのものとでも言うべきものなので、「肉体」と違って、その人の心まで含んでいるといえます。ですから、「わたしのからだを食べなさい」とは、「わたしそのものと一体になりなさい」ということにほかなりません。ミサの聖体拝領は、元の言葉では 「コムニオ」 と言いますが、それは、「クム(共に)」と「ウニオ(一つ)」から成っています。コムニオとは、聖体を拝領してキリストと共に一つになることなのです。
次に「血」は、聖書の世界では単なる「血液」ではありません。「いのち」そのものですから、ミサで「これはわたしの血である」というキリストのお言葉が宣言されるとき、そこにキリストのいのちがみなぎります。そして、それを拝領するとき、おのれのいのちがキリストのいのちと一つに結ばれるのです。この御血の拝領は通常、司祭ひとりが代表して行いますが、もう少し積極的に考えていきたいものです。
パンとぶどう酒の拝領によってキリストと一つになるという究極の神秘は、生涯をかけて最後までキリストについていった弟子たちだけに示されました。その意味もあって、カトリック教会では、洗礼を受けて生涯キリスト者として生きることを公にしているカトリック信者の方と聖体拝領をともにしていますが、信者でない方ともできるかぎり 「共に」「一つ」でありたいと願っていますので、行列して祭壇のもとまで進み、祝福を受けていただければ幸いです。





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