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教会の至宝「聖母子像」

ニ階 宗人 


成城教会と喜多見教会がまもなく一つの共同体となるのはご承知のとおりですが、そのさい、ぜひ思い起こしたいのが喜多見教会の小聖堂にあるフレスコ画「聖母子像」です。


「聖母子像」

ブルーを基調とした「聖母子像」。中央に天空から降臨する聖母子、その両わきにひかえる楽器を手にした天使たち。たとえていえばボッティチェリの作風を思わせます。その下方には教会をまもる大天使聖ミカエル、そして聖ザビエルと東洋人の顔をした殉教者とが天に目を注いでいます。すみに「日本信徒 長谷川路可」の署名がみられます。


長谷川路可。中学時代に受洗し、雅号の路可は洗礼名ルカにちなむそうです。ルカは画家の守護聖人でもあります。その路可が、依頼されて個人宅の聖堂の壁に描いたのが「聖母子像」をはじめとする一連の作品であり、それは日本ではじめて制作されたフレスコ画でした。1928 年のことです。このフレスコ画は、聖堂正面の壁にあった聖母子像だけが戦後、教会に残されて、現在にいたっています。


路可は東京美術学校で日本画を学び、フランスに留学して洋画を修得しました。留学中に中学校の先輩で、のちに司祭となる岩下壮一と出会い、そのすすめでカトリック美術作家の道をあゆむことになります。フレスコ画の技法を学んだのも留学中でした。余談ですが、のちに日本のカトリック青年活動の拠点となる東京信濃町の真生会館をつくったのが、この岩下壮一です。


この時期、路可は海外の学術調査団などが持ちかえった敦煌などの壁画を、ヨーロッパ各地の博物館で数多く模写しました。その一部を東京国立博物館などで鑑賞することができます。東洋館でこの2 月には、ベルリン民族博物館の旧蔵品「供養者立像」と「持花女子半身像」とが展示されていました。路可には、それらの作品が日本美術の源流であるとの思いがあったようです。


その路可が留学から帰国して、鵠沼にアトリエをかまえて本格的に画業にいそしむようになるのが1927 年のことですから、喜多見教会の「聖母子像」は画家・路可の初期の代表作の一つということになります。


路可のフレスコ画のうちヨーロッパでよく知られているのが、イタリアのチヴィタヴェッキアにある日本聖殉教者教会の壁画です。チヴィタヴェッキアは支倉常長をはじめとする遣欧使節団がその昔、上陸したところです。ローマの外港として知られ、車で1 時間あまりのところにあります。いまでも大型客船が寄港したりして、それなりに発展しています。日本聖殉教者教会ですが、その名から推察されるとおり、長崎で殉教した26 聖人を記念して献堂された教会です。しかし、第2 次世界大戦で損傷したため改修されることになり、そのとき壁画の制作にあたったのが路可でした。戦後まもない1951 年のことです。


そのフレスコ画は聖母子が清楚な和装姿であるなど、日本人として26 聖人の殉教場面を描こうとした路可のこだわりのようなものが強く感じられる作品です。日本聖殉教者教会では2 月に26 聖人の祝日を記念するミサが行われました。その模様を伝える「カトリック新聞」の掲載写真には「長谷川路可の壁画の前で」との説明が添えられていて、路可のフレスコ画と26 聖人の記念とがいまでは切り離せなくなっていることを印象づけるものでした。わたくしは路可のフレスコ画の原点が喜多見教会の「聖母子像」であることに思いを馳せました。


路可は1967 年にローマで客死しています。享年69 歳。現認はしておりませんが、墓所はカトリック府中墓地にあるそうです。


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