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    <title>カトリック成城教会</title>
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      <title>5月のメッセージ</title>
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      <pubDate>Sat, 05 May 2012 20:43:35 +0900</pubDate>
      <description><![CDATA[
                             <p style="text-indent: 1em;">寒さに続き花粉から身を守るために閉めっぱなしにしていた窓を、ようやく開放できる季節になりました。心地よい風と新鮮な空気は、よどんでいた部屋を爽やかにしてくれます。聖週間を終えた今、何ともいえない解放感に浸っているところです。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">ふと神学生時代の試験、特に口頭審問形式の試験が終わったときのことを思い出します。試験官が問題をその場で出し、それに即座に答えるという形式の伝統的な試験です。合格するためには何よりも準備が必要です。一発勝負ですから、その場で合否がわかります。そういう意味では筆記試験やレポートよりもすっきりしているのですが、やはり試験を受けるときの緊張感はダントツです。そのような中からの解放は、何か新しい世界に包み込まれたような気分になるのです。ただの怠け者で勉強嫌いな性格がそう感じさせているだけなのかもしれませんが。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">聖書の中でも解放は救いのイメージと結びつきます。旧約のイスラエルの民が経験したエジプトの奴隷状態からの解放、またバビロン捕囚からの解放などがあげられるでしょう。エジプト脱出の物語は復活徹夜祭の朗読で必ず読まれる箇所でもあります。バビロン捕囚からの解放は、歴代誌の最後と、続くエズラ記、ネヘミヤ記に語られていますが、何よりも旧約聖書は、この出来事を神の救いの業として語り伝えています。イスラエルの民の最大の祭り、過越祭はそれを記念するものなのです。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">そして、教会が最も大切にしているイエスさまの十字架の死と復活は、私たち人間を罪と死から解放した出来事として信じられています。もちろんイエスさまのすべての生涯とその出来事は、人間を罪から解放したことを示しています。そしてその言葉は常に私たちを悪の恐れや誘惑から解放してくれます。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">しかし、ふと周りを見渡してみますと、自分が様々なことに捕われ、思い悩み、悪の誘惑にさらされていることに気づきます。確かにこの世で生活している限り、日々の生活、仕事や勉強、家族や社会との関わり、そして健康やお金のことなど、どうでもいいことではありません。もちろんイエスさまがもたらしてくださった解放とは、それらをどうでもよくすることではありません。それらのことに捕われて生きるのではなく、恵みとして積極的に受け取る生き方なのです。それこそが解放され救いに向かうキリスト者の姿勢でしょう。新緑のまぶしい季節、何事にも積極的に取りかかってみてはいかがでしょう。特に教会の掃除とか、献金とか。</p>
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<item>
      <title>復活の主日とパーティー</title>
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      <pubDate>Mon, 30 Apr 2012 22:58:41 +0900</pubDate>
      <description><![CDATA[
                             <p style="text-indent: 1em;">復活の主日も申し分のない日本晴れ。青空に満開の桜が咲き誇り、天候も草花も復活を祝っているようでした。８時半の子どもミサも、10時のミサも補助椅子に満席の信徒がミサを祝い、どの顔も喜びにあふれていました。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">前日に準備されたイースター・エッグを子どもたちからもらい、大事に持ち帰りましたが、神父様は「祝福してあるので、すぐ腐るから今日中に食べてしまうように」とユーモアたっぷりにおっしゃいました。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">ミサ後、信徒会館でパーティーが開かれました。前日から設営された会場と素敵なテーブルセッティングに色とりどりのお寿司、サンドイッチ、お菓子類や飲み物が用意されて、ワインやジュースでの乾杯で和やかで楽しいパーティーが始まりました。もちろん、始まりと終わりは神父様のお祈りでした。互いに復活を祝福しあい、また、楽しいおしゃべりにも花が咲きました。しばらくしてから昨夜の受洗者の一人ひとりが紹介され、各自が感動に満ちた短いスピーチをされました。神父様ももっとも忙しい期間を無事に終了し、大役を果たされた安堵のご様子。さすがの良く通る大きなお声も少しかすれておられるようでした。成城教会が一つにまとまり神を賛美した大きな一日でした。日頃神父様がおっしゃる「共同体を大切に」「横のつながりを大事に」という言葉が具現化したと感じられる復活祭となりました。</p>

]]></description>
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      <title>復活徹夜祭と洗礼式</title>
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      <pubDate>Mon, 30 Apr 2012 22:56:45 +0900</pubDate>
      <description><![CDATA[
                             <p style="text-indent:1em;">4月７日、すがすがしい晴天の中、桜が満開となった土曜日、日没と共に復活徹夜祭と洗礼式が始まりました。主任司祭により、ろうそくの祝福がなされ、復活の炎が会衆一同の手元のろうそくにつぎわたされ、一同は心をひとつに、消灯された聖堂に光をともし、厳かな「復活祭」の序章となりました。</p>
<br />
<p style="text-indent:1em;">答唱詩篇と祈祷がそれぞれ続く第一、第三、第七朗読がなされ、つづく栄光の讃歌では聖歌隊による美しいハーモニーが聖堂に響きわたりました。</p>
<br />
<p style="text-indent:1em;">福音の朗読の後、福島神父は四旬節が明けた喜びの挨拶をなさり、次いで行われる洗礼式に向けて「人間というものは不忠実なもの、人類の長い歴史の中で、神の教えに幾度となく背き、おごり、そして失敗を繰り返しているにも関わらず、神様は私たちを受け入れ、ゆるし、愛してくださるのです。洗礼は神様の愛と恵みのしるしです。洗礼式には水を使いますが、水というものは私たちの生命を維持するのに不可欠なものである反面、昨年の東日本大震災の津波被害が物語ったように、時には人々の生命を奪うほどの災いをおよぼし得る、まさに神の力の象徴です。その被災地でも少しずつ、緑や虫など、新たな生命が顔をのぞかせているのを見て、復活の力を感じました。洗礼式は恵みの時であり、これから洗礼を受ける方々は神に招かれた方々なのです。私たちは恵みに感謝し、本日のミサを捧げましょう」と話されました。</p>
<br />
<p style="text-indent:1em;">洗礼式では入信の秘蹟として一人ひとりに洗礼が授けられ、つづいて堅信の秘蹟、そして会衆一同の祈りが捧げられ、受洗者全員に、司祭より祝福を受けた聖水が聖霊のしるしとして与えられました。受洗を祝う拍手が聖堂に響き、久しぶりの信仰宣言の後、同じ聖水が司祭から会衆全員に降りかけられました。</p>
<br />
<p style="text-indent:1em;">感謝の典礼では数々の特別な日の聖歌が響き、受洗者の笑顔と一同の喜びのうちに復活徹夜祭のミサを終えました。</p>

]]></description>
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      <title>4月のメッセージ</title>
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      <pubDate>Fri, 06 Apr 2012 23:04:35 +0900</pubDate>
      <description><![CDATA[
                             <p style="text-indent: 1em;">ようやく暖かくなってきました。太陽の日差しが何よりも暖かく感じます。南向きの窓の前でこの春の日差しを浴びると幸せな気持ちになります。どんなに高性能な暖房器具でも、この暖かさを得ることはできないのではないかと思います。それだけではなく、日差しを浴びると何となく力が湧いてくるようにも感じます。この季節に桜が一斉に開花するのもうなずけます。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">それでもまだ外に飛び出すことができません。その理由はスギ花粉にあります。春の日差しの中、今まで丸めていた背筋を伸ばして気持ちよく歩きたいのですが、鼻水とくしゃみでそんな気分も吹っ飛んでしまいます。ウキウキした気分に「待った」をかけられているようです。これから数週間はこのスギ花粉との戦いです。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">多くの日本人が悩まされているスギ花粉なのですが、こんな状況を作り出したのは、実はわたしたち人間ではないかと言われています。戦後の復興期、建材として価値の高い杉がたくさん植林されたそうです。しかし高度経済成長において日本の林業は衰退し、外国産の安い建材が使われるようになり、せっかく植えた杉がそのままにされてしまいました。このこともスギ花粉の増加につながっているそうです。ですからスギ花粉に罪はありません。人間に見捨てられた杉が、なんとか自分たちの命を守ろうとせっせと花粉を生成しているのですから。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">わたしたちも同じでしょう。人間だって見捨てられそうになれば、なんとか自分を守ろうとしますし、また自分を守るために周りを傷つけてしまうこともあります。そういえば、人間が過去犯してきた愚かな戦争の多くはこのスギ花粉に似ているように思えます。このような歴史を繰り返しながらも、未だにわたしたちは見捨てられることを恐れ、自分勝手に都合の悪いものを排除し、自分たちだけの都合を押し通そうとしているようです。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">この季節に「待った」をかけられることは決して悪いことではないのでしょう。そういえばイエスさまが伝えたかったことも、自分勝手に都合よく生きている人間たちに「待った」をかけることだったのかもしれません。そしてこの「待った」は当時の人間を苛立たせましたが、詩編118 にあるように「家を建てる者が退けた石が隅の親石となった。これは主の御業、わたしたちには驚くべきこと」となっていったのです。もしかしたらスギ花粉が驚くべき恵みに変貌するのではないのか。そんな期待を持ちつつ、復活の神秘を黙想しているところです。</p>
]]></description>
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      <title>助祭叙階式</title>
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      <pubDate>Tue, 27 Mar 2012 16:57:34 +0900</pubDate>
      <description><![CDATA[
                             <p style="text-indent: 1em;">神学生として成城教会で司牧実習をされた3 名が助祭に叙階されました。一粒会に
寄せた信徒の祈りと献金がこのように実を結んだことに感謝し、司祭に叙階される日を願い、祈り続けたいものです。</p><br />
<table>
<tbody>
<tr>
<td align='center'><img src="http://www.seijo-church.com/assets/galleries/1914/tn_m04.jpg" alt='mori'/></td>
<td width="5%">&nbsp;</td>
<td align='center'><img src="http://www.seijo-church.com/assets/galleries/1914/tn_o04.jpg" alt='onishi'/></td>
<td width="5%">&nbsp;</td>
<td align='center'><img src="http://www.seijo-church.com/assets/galleries/1914/tn_f02.jpg" alt='furugori'/></td>
</tr>
<tr>
<td width="30%" style='font-weight:bold;'>使徒ヨハネ <div align='right'>森 一幸助祭</div></td>
<td width="5%">&nbsp;</td>
<td width="30%" style='font-weight:bold;'>ヘルマン・ヨゼフ <div align='right'>大西 勇史助祭</div></td>
<td width="5%">&nbsp;</td>
<td width="30%" style='font-weight:bold;'>A・フランシスコ <div align='right'>古郡 忠夫助祭</div></td>
</tr>
<tr>
<td>3/4(日) 荻窪教会</td>
<td width="5%">&nbsp;</td>
<td>3/18(日) 高円寺教会</td>
<td width="5%">&nbsp;</td>
<td>3/25(日) 潮見教会</td>
</tr>
</tbody>
</table>
]]></description>
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<item>
      <title>聖堂内部補修工事</title>
      <link>http://www.seijo-church.com/topic/repair2012.html</link>
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      <pubDate>Tue, 27 Mar 2012 15:37:36 +0900</pubDate>
      <description><![CDATA[
                             <h4>はじめに</h4>
<p>成城教会の聖堂は1955年3月に献堂され、数回の小補修を経て57年たち、昨夏には鐘楼頂部の十字架取替と外壁塗装工事を行いました。2012年度は必要性や緊急度を考慮し、聖堂内部の整備を主要事項として、内壁や窓枠の損傷や老朽化を調査したうえ、次の項目について補修工事を進めることになりました。なお、これらは今年度の実施項目として予算計上され、信徒総会で承認されております。</p><br />
<h4>補修工事の内容</h4>
<p>
（1）正面両開扉の修理・塗装<br />
（2）聖堂・祭壇・香部屋の内壁塗装、床補修、及び梁部・階段・手摺の塗装<br />
（3）聖堂縦窓・祭壇横窓開閉調節（取手等の交換）、塗装<br />
（4）祈祷台・椅子の塗装、補修<br />
（5）鐘楼小鐘モーター交換、梯子補修<br />
（6）その他関連の補修、塗装、取替え
</p>
<br />
<h4>補修工事の時期と工期</h4>
<p>上記工事は聖堂内部のみの工事ですが、高窓部や天井梁部の塗装などは、移動式の高所用足場を使用しながら安全に進める必要がありますので、工事の時期は教会行事の少ない7月中旬～ 9月上旬の約2ヶ月間を予定しています。</p><br />
<h4>工事期間中のミサ</h4>
<p>工事を実施するためには、工事期間中の土日のミサや葬儀を、信徒会館多目的ホールを仮聖堂としてどのようにして行うかについての詳細検討が必要です。これらにつきましてはまとまり次第、掲示や説明を行う予定ですが、仮聖堂の設営や聖堂工事の実施に際しましては、信徒皆様のご理解ご協力をどうぞよろしくお願い致します。</p><br />

]]></description>
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<item>
      <title>おめでとう叙階式</title>
      <link>http://www.seijo-church.com/topic/20120320.html</link>
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      <pubDate>Tue, 27 Mar 2012 15:36:56 +0900</pubDate>
      <description><![CDATA[
                             <p style="text-indent: 1em;">3月20日春分の日、午後2 時からカトリック名古屋教区司教座、聖ペトロ・聖パウロ大聖堂において、アウグスチヌス浅井太郎新司祭の叙階式が、名古屋教区長である野村純一司教の主司式で厳粛に執り行われました。</p><br />
<p style="text-indent: 1em;">四方を囲む美しいステンドグラス越しに穏やかな春の日差しが降り注ぐ中、献堂50周年を迎えたという広い大聖堂を埋め尽くすたくさんの方々が参列しました。成城教会からも貸切バスや新幹線で30名以上の信徒が参列し、福島神父と共に浅井新司祭の司祭叙階を祝福しました。</p><br />
<p style="text-indent: 1em;">ヨハネによる福音（１５・１－１７）の朗読の後、叙階の儀に移りました。野村司教は説教の中で、ぶどうの木のたとえを引用され、師であるキリストに常につながって働くように、そしてこれからは司祭として新しい命を生きるように、と励ましの言葉をかけられました。</p><br />
<p style="text-indent: 1em;">ミサ後、浅井新司祭が挨拶の壇上に立ち、「霊名のアウグスチヌスの真髄は告白にあるので、失敗を告白します」とおっしゃって、受階者の約束を述べる際、大事な言葉を1つ抜かしてしまったことを告白なさいました。いつもと変わらず落ち着いているように見えた浅井新司祭も、やはりとても緊張なさっていたことが会衆全員にほほえましく伝わったようでした。さらに、叙階式の式次第裏表紙のシンボルデザイン（十字架に剣と鍵がかけられている図）は、大聖堂の保護聖人にちなんでペトロの鍵とパウロの剣をご自身で考えられたこと、また、叙階記念カードの剣を抱いた高山右近像の写真は、石川県まで出かけて撮ってきた写真を用いたことなどを述べられ、叙階の秘跡を受けられた喜びと決意の重さが改めて感じられました。</p><br />
<p style="text-indent: 1em;">叙階式をしめくくる奉納の歌は、カトリック青少年が交流するネットワークミーティング名古屋による彼らのテーマソング「ぶどうの木」が歌われ、司祭の派遣が減っているという懸念もある昨今、キリストにつながって実を結ぶ「ぶどうの木」は、それぞれの教区で確実に育っていると、明るい未来を実感させる叙階式でもありました。</p><br />

]]></description>
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<item>
      <title>2012年度定時信徒総会開催</title>
      <link>http://www.seijo-church.com/event/archive/20120122.html</link>
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      <pubDate>Fri, 02 Mar 2012 22:06:38 +0900</pubDate>
      <description><![CDATA[
                             <p style="text-indent: 1em;">1月22日（日）11時半から2時間にわたり2012年度定時信徒総会が開催されました。まず、議長に二階宗人さん、副議長に岩倉邦子さんが指名されました。ここでは、定例報告に続く2012 年度の課題についての主任司祭のお話を中心にその一部をお伝えします。</p>
<br/>
<p style="text-indent: 1em;">初めに東日本大震災に関し、「被災地へは成城教会としてこれからも犠牲を捧げ、祈り続けたい。今後も震災を心に留め、祈り・援助・かかわりを続けて行って欲しい」とのお話があり、次に、2012年度の課題が大きく2つ挙げられました。</p>
<br/>
<p style="text-indent: 1em;">1 つ目は、地区別運営の定着と強化です。　「2011年度から導入された地区別運営は、教会の大きなチェンジ。信徒の多い教会は、活動が一部の人に限られてしまう傾向がある。男女の区別を取り払った小さな区分で意見を言いやすい環境を作るため地区別運営にした。今後も自分の地区の奉仕に参加して頂きたい。特に、30代～50代信徒への宣教と教会への招きは、その強化を図りたい。この世代の人は、一般社会でも中心となっていて大変忙しい年代。教会活動は暇な人の気晴らしではない。この世代の人たちが教会に来てくれないのは、教会に何か問題があるのかもしれない。この社会的に忙しくしている人たちが一緒に教会活動をできる体制・環境が必要だと思われる。教会へ来てくださいと同じ地区の方に呼びかけて欲しい。そして日曜日には1 時間以内で終了するミサに与って頂きたい」。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">2つ目は、Welcome Dayへの取り組みです。　「Welcome Dayは、優れたアイデアであり、これからも福音宣教の場としたい。司牧は教会内部の課題。福音宣教は、外に向かってキリスト者として生きることを公にしていくことであり、キリストを伝えていかなければならない。キリスト者として一致し、共に学び、福音を伝えていくことを教えている。福音宣教をもっと効果的にする方法の1つと言える。Welcome Day 企画委員は随時募っているので、是非積極的に参加して頂きたい」と呼びかけました。</p>
<br/>
<p style="text-indent: 1em;">一方、ボランティアサークルは、そのすべてが教会への奉仕活動であることを前提とし、主任司祭からは「聖歌隊についても現状のままの位置づけとする」との昨年度の宿題に対する回答がありました。また、気がかりなこととして、教会維持費・寄付金が減少していることが挙げられました。</p>
<br/>
<p style="text-indent: 1em;">他に建物保存委員会から、新年度の現状の維持管理のための計画が示されました。
<ol>
<li> 4月 聖堂の扉（50万円）</li>
<li> 8月 聖堂内部の床・壁・柱・窓の木枠（370万円）</li>
<li> 11月 鐘楼のモーター交換（150万円）</li>
</ol>
</p>
<br/>
<p style="text-indent: 1em;">さらに主任司祭から以下の補足説明がありました。<br />
　「良い工事を行うために、聖堂内部は教会行事の少ない8 月に改修工事を行うこととなった。その間は、信徒会館を礼拝堂として使用せざるを得ないので、不便をおかけするが協力をお願いします」。</p>
<br/>
<p style="text-indent: 1em;">石原前副委員長の閉会の挨拶と主任司祭のアヴェ・アリアの祈りをもって信徒総会は終了しました。</p>
]]></description>
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<item>
      <title>3月のメッセージ</title>
      <link>http://www.seijo-church.com/message/backnumber/1203.html</link>
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      <pubDate>Thu, 01 Mar 2012 22:18:40 +0900</pubDate>
      <description><![CDATA[
                             <p style="text-indent: 1em;">私たちは、消費社会の中に生きています。こうした社会の中では、次々と登場てくる新しいモノを追い求めずにはいられないような風潮がとても強いものです。ニュースなどの情報の扱いも同様です。次から次へと新しい出来事が起きてくる中、マス・メディアが過去のニュースをいつまでも取り扱うようなことは滅多にはありません。同じ日のニュース番組の枠の中でさえ、キャスターが悲しい表情で悲惨な事故の情報を伝えたかと思えば、次の瞬間には、その同じキャスターが笑顔でスポーツの情報を伝えたりします。このように、矢継ぎ早に現れる情報が次々に消費されていっている、さらには、どんどん使い捨てにされている状況があります。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">皆さん、ご存じの通り、昨年の2011 年3 月11 日に起きた東日本大震災の被災地のニュースも時が経つにつれ、マス・メディアで扱われる頻度が徐々に減ってきています。しかし、そうしたニュースが扱う出来事の背後には、被災者の方々一人ひとりが向き合わなければならない、被災地で、または避難先で、日々生きていく上での厳しい現実が依然として続いています。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">そうした被災地の現状を、そして被災された人たちの現実を前にして、｢何かをし
なければいけない｣、｢自分にできることは何だろう｣という思いが私たちを突き動かします。遠く離れた現地にすぐさま飛んで行って、瓦礫撤去や泥出しなどの作業を手伝う人たちもいるでしょう。救援物資や募金などの物質的な援助をする人たちもいるでしょう。また、被災地の人たちのためにお祈りをする人も多いでしょう。お祈りは、距離や国境など、あらゆる隔たりを超えていくものです。現に、日本だけではなく、世界中の人たちが、目に見える物質的な援助のほかにも、目には見えない霊的な援助を祈りという形で、｢共にいる｣というメッセージと共に、日本の被災者の方々に送ってくださっています。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">｢友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない｣（ヨハネ15・13 ）と言います。私たちが、苦しみのうちにある人たちのために祈るために、それぞれに神様から与えられた命という限られた時間の一部を特別に意識して使い続ける先にあるのは、その命を捨てるほどの大きな愛であるといえるかもしれません。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">｢援助をいただく側として、（規模の大小の問題を超えて、援助を）長く続けてもらう
ことが一番ありがたい｣とは、仙台教区のある神父様の言葉です。｢継続は力なり｣という言葉がありますが、一人ひとりは小さいながらも、被災者の方々に心を向け続ける、その方々のために祈り続ける私たち、そして、そうした祈りが込められた様々な形での援助をしていける私たちでありたいと思います。</p>
<br />
<div style='width:90%; margin-left:20px; border:solid 1px #aaa; padding: 2px;'>
<div class='bg_subhead_left' style='padding: 5px;'> 赤岩神父様のご紹介</div>
<p style='padding: 5px;'>幼少期に成城教会で受洗後、神学生として2004年4月から 2005年3月まで当教会で司牧実習。<br />
昨年11 月から年初まで仙台教区に派遣されていました。</p></div>
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</item>
<item>
      <title>新成人の祝福と新年会</title>
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      <pubDate>Thu, 02 Feb 2012 18:29:31 +0900</pubDate>
      <description><![CDATA[
                             </p>
<br />
<p style="text-indent:1em;">新春寒波の残る 1 月 15 日、ミサの中で 5 人の新成人の祝福が行われました。</p>
<p style="text-indent:1em;">浅井助祭は福音朗読（ヨハネ１・３５−４２）の後、新成人にお祝いの言葉をかけてから次のような説教をなさいました。</p>
<p style="text-indent:1em;">「私が神様からの呼びかけを聞いて、自分の特別な道を歩み始めたのは 24歳のころでしたが、20歳のころに大切にすべきものがあるということに気付きました。それは男女の関係のなかで『操』ということです。とても奥行きの深いことだと理解し、今は若い人に進んで話すようにしています。新成人の皆さんはこれからの人生で苦しむことがあると思います。そんな時は教会を頼りにしてほしい。教会がありがたいと思うのは、祈りの場が与えられていることです。聖堂で祈り、神様からの呼びかけを聞き、キリストと自分との関わりについて深く思いをめぐらしてください。それが皆さんのこれからの歩みに確かな導きとなり、将来に大きな実りをもたらしてくれるはずです」とのメッセージを贈られました。</p>
<p style="text-indent:1em;">ミサ後、福島神父から新成人一人ひとりが紹介され、誓いの言葉を述べた 5 人は祝福された記念の十字架をプレゼントされました。</p>
<p style="text-indent:1em;">福島神父からは「皆さんには自由と同時に責任が与えられました。それが十字架です」と、励ましの言葉がかけられ、信徒からの温かい拍手のうちに成人の祝福を終えました。</p>
<br />
<p style="text-indent:1em;">ミサの後、信徒会館の多目的ホールにおいて、新年会が開催されました。福島神父のお祈りに続き、赤羽委員長の挨拶、そして、西村英二さんの音頭で乾杯となりました。</p>
<p style="text-indent:1em;">日頃、時間帯の違うミサに参加している信徒が一堂に集う機会とあって、知り合いを見つけては、「お久しぶり」「お元気でしたか」「なかなかお会いできませんね」などと、お互いの近況を報告し合う姿が見られました。その中で、ひときわ注目を集めていたのが新成人の皆さんです。聖堂で祝福を受けたばかりの輝きが、新年会の会場に華やぎを添えていました。「成人おめでとうございます」と多くの信徒から声をかけられて、笑顔で「ありがとうございます」と答える若者たちの姿は、頼もしくもあり、未来への希望を感じさせてくれるものでもありました。</p>
<p style="text-indent:1em;">歓談がひとしきり続いた後、お祈りと浅井助祭の祝福でお開きとなりました。</p>
<br />
<!-- p>
以下のリンクから、当日のミサの音声ファイル(MP3)がダウンロードできます。
<br />
<ul>
<li><a href="/assets/files/event/120115_001.MP3" target="_blank" ><img src="/assets/images/icons/mp3.gif" style="vertical-align:text-bottom;border-width: 0px;">浅井助祭の説教</a></li>
</ul>
</p -->
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<item>
      <title>2月のメッセージ</title>
      <link>http://www.seijo-church.com/message/backnumber/1202.html</link>
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      <pubDate>Wed, 01 Feb 2012 22:18:17 +0900</pubDate>
      <description><![CDATA[
                             <p style="text-indent: 1em;">寒い日が続きます。今年の冬は例年より寒さが厳しく感じます。わたしだけでしょうか。寒い聖堂に座っているのも苦痛に感じてしまい、祈りが終わるとルルドのマリア様への挨拶もそこそこに、全速力で司祭館へ飛び込み、電気ストーブにしがみついている毎日です。寒さから逃げるためになるべく外出を控えているのですが、東京より寒い地方の人たちを思うと本当に頭が下がります。そんなわたしも寒さに凍てつきながら外で仕事をしていた時期もあります。とても辛かった思い出です。もしかしたらその辛さから逃れるために司祭職を目指したのかもしれません。司祭になって寒さから逃れることができましたが、それ以上の厳しさが待ち受けていましたけど。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">それでも寒さや厳しさよりも、温かみや優しさに満たされていたい。ずっと暖かい
ビニールハウスのようなところでぬくぬくとしていたい欲望があります。でも厳しさのない環境に慣れてしまい、それが当たり前のこととなりますと、厳しさに対処することを忘れてしまうでしょう。そうなりますと身体的にも精神的にも弱体化してしまうのです。だから厳しさを乗り越える強さを手に入れたいと願っているのですが、同時に厳しさになるべく出会わないようにとも願ってしまいます。厳しさに遭遇しないように厳しさを乗り越えたい。勉強せずによい成績を取りたいと思う甘えた子どもの発想と変わりありません。まったく自分はどこまで都合のいいことを考えているのやら。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">厳しさのない世界はありません。厳しさがあるからこそ優しさを知ることができ、
また苦しみがあるからこそ救いの尊さを理解できるのです。のぼせ上がっているときには分からないものなのですが、冷めたときにようやく物事の本質が見えてくるものであるのと同じです。ちょっと厳しいくらいが人間にはちょうどよいのでしょう。だから失敗をして凹むことは悪くありません。病気になって落ち込むことだって普通のことです。寒くなって引きこもるのも生きているからです。厳しく感じるということは生きている証拠なのです。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">厳しさに押しつぶされそうになるとき、いつも心に響く福音があります。「わたしに
つながっていなさい」（ヨハネ15・4）。イエスさまが十字架の厳しさを目前に弟子たちに呼びかけた言葉です。そしてその厳しさは尊い恵みに復活するのです。電気ストーブではなくイエスさまにしがみつき、厳しさの中にも恵みを感じることができますよ
うに。
]]></description>
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<item>
      <title>行事日程：年間の行事</title>
      <link>http://www.seijo-church.com/event/yearly.html</link>
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      <pubDate>Sun, 22 Jan 2012 14:26:28 +0900</pubDate>
      <description><![CDATA[
                             
]]></description>
      <ror:updatePeriod>week</ror:updatePeriod>
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<item>
      <title>1月のメッセージ</title>
      <link>http://www.seijo-church.com/message/backnumber/1201.html</link>
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      <pubDate>Sun, 01 Jan 2012 01:44:13 +0900</pubDate>
      <description><![CDATA[
                             <p style="text-indent: 1em;">冒頭の挨拶の言葉ですが、もちろん昨年の地震や津波などの自然災害において被災した多くの方々の心情を軽視するつもりではありません。でも新しい時を迎えることが出来たのは決して悪いことではありません。そして何よりもこの恵みを与えた神さまに対する気持ちを自粛する必要もありません。こんな時だからこそ、わたしたちカトリック教会は「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」という使徒パウロの言葉を自らの生活の中で証ししていかなければなりません。どんなに驚愕するような脅威にさらされても、与えられた命を全うするまで喜びをもって歩み続けていく決意を新たにしたいものです。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">さて、本音を語り合うことが大切なのだと言うのですが、本当でしょうか。本音で話し合えばわかり合えるものなのでしょうか。お酒で酔っ払ったときに本音が出ると言いますが、お酒を飲み合えばよい関係を築くことが出来るのでしょうか。言いたいことを言い合うことは逆に傷つけ合うことになってしまうのではないかと心配になります。かくいうわたしも皆様とは出来るだけ本音でつき合いたいと思っているところではありますが、人によっては言葉づかいや気のつかい方をまちがえ、ご迷惑をおかけしたこともあります。嘘をつくつもりはありませんが、本音を語るときには注意が必要であると感じます。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">最近聖書の分かち合いなどが教会の中でも盛んに行われています。自分の感じたこと、思っていることを本音で語り合い、その中で新しい気づきが与えられることが多々あります。わたしもよく青年たちとそのような場を作っているのですが、「決して人の意見を否定しないこと」というルールが必ずつきます。そうではないと安心して本音を語ることができないからです。でもこのルールの下、他人の意見だけを長々と聞き続けなければならないときもありますし、まったく納得できない発言に悶々としてしまうこともあります。なかなか難しいものです。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">そこで大切なのは「ゆるし合い」なのではないかと思います。もちろんゆるすだけではなく、ゆるしてもらうことも含めてようやく人間は本音で語り合うことが出来、信頼関係を築けるのではないかと思うわけですが、いかがなものでしょう。わたしたちはなかなか「ゆるす」ことが実行できないと感じていますが、実はそれ以上に「ゆるされている」という実感はあまり感じていないのかもしれません。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">なぜわたしたちが新しい年を喜べるのか。それは何よりも「ゆるし」を与えられているからにほかなりません。今までの様々な罪がゆるされているからこそ、今があるのです。そして自分もあるのです。イエスさまはそれを伝えるためにこの世においでになったのです。何よりもゆるし合う共同体を目指し、今年も皆様と歩みたいと願います
]]></description>
      <ror:updatePeriod>week</ror:updatePeriod>
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</item>
<item>
      <title>待降節･降誕祭 写真速報</title>
      <link>http://www.seijo-church.com/event/archive/111225.html</link>
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      <pubDate>Sat, 31 Dec 2011 12:57:07 +0900</pubDate>
      <description><![CDATA[
                             <p style="text-indent: 1em;">主のご降誕、おめでとうございます。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">以下、2011年の待降節、降誕祭の模様を画像でご紹介します。</p>
<img src="assets/images/line/lblue.gif" width="443" height="1" alt="" class="divider" /><br />
[!MaxiGallery? &display=`embedded` &embedtype=`lightboxv2` &pics_per_row=`3` &max_thumb_size=`140` &max_pic_size=`500` &quality_thumb=`90` &quality_pic=`90` &max_big_size=`500` &order_direction=`ASC` &order_by=`id` !]
<br />
<span class="info">※</span> 震災後、子どもの数が減って聖劇ができないという声にこたえて、
瀬田教会・成城教会のスカウトが『くつ屋のマルチン』の人形劇セット等、心温まるプレゼントを贈りました

]]></description>
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<item>
      <title>Q＆A 「教えて！神父様」</title>
      <link>http://www.seijo-church.com/event/archive/welcome2011/welcome2011qaform.html</link>
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      <pubDate>Sat, 31 Dec 2011 12:55:48 +0900</pubDate>
      <description><![CDATA[
                             <p style="margin-left:20px; width:80%; padding: 5px; border:1px solid #ccc;" class="info">※「教えて！神父様」へのご質問の募集期間は終了しました。<br />
たくさんのご応募、ありがとうございました。
<br class="clear"/></p>
<!-- iframe src="https://docs.google.com/spreadsheet/embeddedform?formkey=dEJXSkdUQ1UyUjFMcTJFRnl1NWUyZ2c6MQ" width="400" height="480" frameborder="0" marginheight="10" marginwidth="10" scrolling="no" style="margin-left:10px;border:1px solid #ccc;padding:10px;">読み込み中...</iframe -->
<br />
<h4 class='sblue'>主な Q&A のご紹介</h4>
<br />
<p style="text-indent:1em;">Welcome Day 2011 のミサ後、信徒会館にて「教えて！神父様」Q&Aコーナーが設けられ、たくさんの方が福島神父の話に聞き入りました。お聞きになれなかった方、もう一度確認なさりたい方のために、主な Q&A を改めてご紹介します。</p>
<br />

<div style="font-weight:bold;">Q1</div> <p class='bg_subhead_left space' style="margin:5px 5px 5px 20px;">カトリック信徒にとって、苦しみや辛さはお捧げするものであり、祈りは願い事ではないと頭ではわかっています。しかし世の中の不条理や、苦しんでいる人たち、収まらない災害等、神様はどのようにお考えなのでしょうか。聖書の中で度々起きた奇跡は今の世には起こり得ず、永遠の命だけを信じて、どんなに苦しくても感謝しつつ捧げなくてはならないのでしょうか。祈りとはなんでしょうか。</p>

<div style="font-weight:bold;">A1</div> <p style="margin:0px 5px 5px 20px;">お祈りとは何か。それは神様との対話だと思います。こちらから願いごとを言うだけでなく神様の言葉を聞かなければなりません。神様はこの世の中のことすべてを使って、ご自分のみ心を示しておられるのだと思います。それを私たちが受け取らなければなりません。地震もそうでしょう。奇跡はないと思われるかもしれませんが奇跡は起こっています。今回の地震をきっかけに私たちはいろいろなことに気付かされています。犠牲になった命は無駄になったのではなく、連帯を生みました。祈りは心の叫びです。聖書の中の祈りと同じです。心の叫びとして神様にお捧げしてください。何も変わらないはずはない。必ず恵みの道は示されるはずだと思います。</p>
<br />

<div style="font-weight:bold;">Q2</div> <p class='bg_subhead_left space' style="margin:5px 5px 5px 20px;">女性はなぜカトリックの司祭になれないのですか。以前、女性教皇が実在したという本を知ったのですが、本当ですか。</p>

<div style="font-weight:bold;">A2</div> <p style="margin:0px 5px 5px 20px;">「キリストが形成した使徒団には女性がいなかった。また使徒たちも後継者や協力者に男性を選んだ。女性が叙階されることはあり得ない。（これは役割の違いです）叙階の秘跡は『神様の選び』によるもの。なりたくてなるものではない」カテキズムによれば以上のような理由をもって女性の教皇はいなかった、というのが歴史上の事実とされています。</p>
<br />

<div style="font-weight:bold;">Q3</div> <p class='bg_subhead_left space' style="margin:5px 5px 5px 20px;">カトリックは今でも生物の進化を否定していますか。もし進化を認めたとしたら、神が最初に創造されたアダムとエバは、原人で猿に近い姿だったでしょうか。</p>

<div style="font-weight:bold;">A3</div> <p class='space' style="margin:0px 5px 5px 20px;">進化論は否定していません。最初の人間が原人か猿かは断定できませんので、アダムとエバがどのような格好をしていたかはわかりません。ただ創世記によれば「神の息を吹き入れられ」て生きるようになったとあります。神の息、すなわち霊的な部分を備えて初めて人間として見ることができるのではないでしょうか。</p>
<br />

<div style="font-weight:bold;">Q4</div> <p class='bg_subhead_left space' style="margin:5px 5px 5px 20px;">カトリック信者の葬儀について教えてください。成城教会に神父様以外に葬儀担当の方はいますか。

<div style="font-weight:bold;">A4</div> <p class='space' style="margin:0px 5px 5px 20px;">葬儀の担当はあくまでも主任司祭です。まず主任司祭・教会受付にお知らせください。そこで手順をお教えいたします。またご家族が通知不可能である場合は、後見人や責任を持つ方に教会へ連絡を入れるように依頼しておいてください。また亡くなる前から教会に通い、教会との交わりを持ってください。</p>
<br />

<div style="font-weight:bold;">Q5</div> <p class='bg_subhead_left space' style="margin:5px 5px 5px 20px;">観光地で神社仏閣を訪ねる時、日本の歴史の一端を担う宗教施設の維持管理への感謝の気持ちで、賽銭箱に寄付しますが、キリスト者のあり方としていかがでしょうか。</p>

<div style="font-weight:bold;">A5</div> <p class='space' style="margin:0px 5px 5px 20px;">特に問題ないと思います。現在では、第2バチカン公会議において、諸宗教との対話を大切にすることを教えています。</p>
<br />

<div style="font-weight:bold;">Q6</div> <p class='bg_subhead_left space' style="margin:5px 5px 5px 20px;">イエス様はひとりっ子だったのですか。</p>

<div style="font-weight:bold;">A6</div> <p class='space' style="margin:0px 5px 5px 20px;">信仰宣言の中でもイエス様は「神のひとり子」といわれます。神様との深い親子関係を持つのはイエス様だけです。この世においても、聖母マリアから聖霊によってこの世に宿ったことを信仰として宣言しています。
すなわちマリア様は処女のままイエス様を産み、その処女性、汚れのない状態（無原罪）を保っていたがゆえに天に上げられています。聖書で「主の兄弟」という表現がありますが「親族」も「兄弟」としてみられていたようです。</p>
<br />

<div style="font-weight:bold;">Q7</div> <p class='bg_subhead_left space' style="margin:5px 5px 5px 20px;">区役所（福祉事務所）と貧困ビジネス（NPO法人）の癒着をどうにかしてください。有志の弁護士グループだけが動いており、政治家は動きません。教会の皆様で、3畳5万円の部屋に閉じ込められている高齢者の方々を助けてください。</p>

<div style="font-weight:bold;">A7</div> <p class='space' style="margin:0px 5px 5px 20px;">政治に教会が無関心ではありませんが、裁きは神様がくださるでしょう。不正であるのならば必ず裁かれます。正義を行うのは人に言われてするものではありません。心からそれに気付かなければ動くこともできません。聖霊の導きを願います。究極的に人は人を救えません。しかしお手伝いはできるはずです。自分のできることから始めてみてはいかがでしょうか。貧しい人にお金をあげたりすることだけが救いではないはずですから。</p>
<br />

<div style="font-weight:bold;">Q8</div> <p class='bg_subhead_left space' style="margin:5px 5px 5px 20px;">告解の仕方についてご教示ください。今のやり方に過不足がありますか？ 1 父と子と聖霊のみ名によって…十字架の祈り。2 最後の告解の時期を言う。3 全能の神と教会にわたしの罪を告白します。4 告白。5 今日までの主な自覚している罪を告白しました。6 ゆるしの言葉。7 神に感謝　ありがとうございました。
痛悔の祈りは、どのような時に行うのがいいですか。</p>

<div style="font-weight:bold;">A8</div> <p class='space' style="margin:0px 5px 5px 20px;">そのとおりです。贖罪司祭は告白する信者に配慮する義務がありますので、その都度お聞きになってもかまいません。心配であるなら儀式書をお貸しできます。痛悔の祈りは罪を自覚し、回心するとき行うべきでしょう。時を選ぶ必要はありません。</p>
<br />

<div style="font-weight:bold;">Q9</div> <p class='bg_subhead_left space' style="margin:5px 5px 5px 20px;">私は後期高齢者です。最近、職場の関係者、友人、親戚等訃報が多くきます。告別式に出席したり、弔意の手紙、品を送りたいと思っても、なかなか思うに任せません。聖書の中にキリストが肉親の葬に行こうとする弟子に「その必要はない。死者自ら弔う」と言われた箇所があったように思います。
これを盾に葬儀をサボろうという訳ではありませんが、教えて下さい。</p>

<div style="font-weight:bold;">A9</div> <p class='space' style="margin:0px 5px 5px 20px;">カトリック葬儀に出席することは弔うことではありません。神の恵みである死を受け止め、復活への信仰を強める時でもあります。葬儀も宗教行為であり、義務ではありません。救いのための強制はひとつもありませんが、葬儀も神様の呼びかけとして大切にすべきでしょう。行けない場合はそれに相応する祈りをささげるのもいいかと思います。</p>
<br />

<div style="font-weight:bold;">Q10</div> <p class='bg_subhead_left space' style="margin:5px 5px 5px 20px;">信者同志が出会い、結婚に縁があると勘違いして数年。どう考えても冷たい相手。
さまざまな葛藤はすべて神様にお任せするとわかっていても、心の平和は難しいものです。いったいどうしたらいいのでしょう。</p>

<div style="font-weight:bold;">A10</div> <p class='space' style="margin:0px 5px 5px 20px;">夫婦だからこそ難しいことも多いでしょう。わかってはいるけれど神様に委ねることができない。そのわかっていることを実行するしかないと思います。人を思い通りにさせることはできないものです。今の苦しみは決して無駄になることではありません。時が来たら委ねられるのでしょうが、もがき苦しんでいる時はまだ自分の力に頼っているのだと思います。それを十字架の苦しみを受け入れられたイエス様と同じように、使命として受け取れたら幸いでしょう。絶望しないことです。神の業がその時に働くのですから。心の平安は神様から必ず与えられるものなのです。</p>
<br />

<div style="font-weight:bold;">Q11</div> <p class='bg_subhead_left space' style="margin:5px 5px 5px 20px;">TV 番組で創造論と進化論の考え方の相違について取り上げられて、キリスト教徒が2つの考え方に分かれていると伝えていました。どのように考えたらいいのでしょうか。</p>

<div style="font-weight:bold;">A11</div> <p class='space' style="margin:0px 5px 5px 20px;">カトリック教会の創造論は進化論と矛盾するものではないと捉えています。「創世記」は起源をたどるという意味をもちますが、今あるものがどうして成り立っているのかを探っていくものです。今そこに光・闇・水・空・宇宙がある。そして人間がいる。進化論はそこからどうやって私たちが成り立ってきたかということで、アプローチの仕方は違うと思いますが、決して矛盾するものではありません。</p>
<br />

<div style="font-weight:bold;">Q12</div> <p class='bg_subhead_left space' style="margin:5px 5px 5px 20px;">東日本大震災で私たち信者は、神に助けと励ましと希望を与えてくださることを祈り願うことができますが、被災地の方の中で信仰を持たない方、また持てない方たちは、そのとてつもない深い悲しみの救いを何に求めたらいいのでしょうか。そのことを考えますと尚一層心が痛みます。（これは被災された人に直接言われた言葉です）</p>

<div style="font-weight:bold;">A12</div> <p class='space' style="margin:0px 5px 5px 20px;">自然災害の前に私たち人間は無力です。しかしこのようなことを通して私たちが学ばなければならないことは、山ほどあることに気付かされました。山浦玄嗣先生が講演で「これは恵みです」とおっしゃったことは力強い信仰だと思いました。これは私たちを悲しませ滅ぼすためのものではない。自分たち人間だけが生きているのではない。回心してもっと連帯し合わなければいけない。そういうことに心を向ける機会にしていきたいと思います。</p>
<br />

<div style="font-weight:bold;">Q13</div> <p class='bg_subhead_left space' style="margin:5px 5px 5px 20px;">被災地の教会の被害はどれくらいですか。神父様たちはどのように対応していますか。</p>

<div style="font-weight:bold;">A13</div> <p class='space' style="margin:0px 5px 5px 20px;">教会の被害はそれほどでもありません。しかし信者の中には甚大な被害を被っている方もたくさんいらっしゃいます。現地の仙台教区では「新しい創造」計画を推進し、「仙台教区サポートセンター」と「4 から6/45計画」（国道4号線から6・45号線へ）として内陸の教会が沿岸の教会をサポートするよう活動しています。特に現在は、沿岸部に若い司祭が派遣されているようです。</p>
<br />

<div style="font-weight:bold;">Q14</div> <p class='bg_subhead_left space' style="margin:5px 5px 5px 20px;">ルカ福音書（１１・２４－２６）のイエス様の言葉「汚れた霊は人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで『出て来たわが家に戻ろう』と言う。そして戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。そこで出かけて行き、自分よりも悪いほかの7 つの霊を連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる」について、実生活の場面ではどういうことですか。</p>

<div style="font-weight:bold;">A14</div> <p class='space' style="margin:0px 5px 5px 20px;">解釈は様々ですが、苦しみや壁を乗り越え、一時的な平安を感じることがありますが、油断せず、新しい気持ちをもって生活していかなければならないということなのでしょうか。洗礼を受けるとそこからさらに厳しいキリスト者としての生活が始まります。救いを受けたらそれで終わりにせず生活の糧にしていくことが大事だ。それができないと前よりひどいことになるということでしょう。悪霊はそんな隙を突くのが上手なのです。</p><br>
]]></description>
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      <title>12月のメッセージ</title>
      <link>http://www.seijo-church.com/message/backnumber/514.html</link>
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      <pubDate>Sun, 04 Dec 2011 20:15:11 +0900</pubDate>
      <description><![CDATA[
                             <p style="text-indent: 1em;">カトリック成城教会のWelcome Day にようこそお越しくださいました。お礼を申しあげます。今、ミサを捧げております。ミサの中では必ず福音書が朗読されます。今、読まれた福音書（マタイ２３・１－１２）について、わたしの感じた事を申しあげたいと思います。「あなたがたの父は、天の父おひとりだけだ、誰も父と呼ばれてはならないしまた、先生と呼ばれてはならない」とイエス・キリストは言われました。わたしたちの信じている教えによれば、わたしたちはただ一人の神様を信じております。この神様は「すべての人の父」であります。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">ですからわたしたちは全員兄弟姉妹であります。ですが、現実には、父がおり、母がいて、子を産み育てます。その際、本当のお父様は天の父おひとりだけで、わたしたちはただ、その子をあずかり、天のお父様の代わりに父の役割を果たしているのだという考えこそが、とても大切で重要なのではないでしょうか。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">子どもの上に絶対的な権限を奮うわけではなく、謙遜に子どものために働かなければならない。先生にしても同じ事であります。先生であるから、絶対に間違わないという訳ではないし、自分が教えている通りに毎日生きているという自信は、持てないものであります。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">カトリック教会では「神父」という存在があります。この「神父」という言い方は、中国から日本に伝わりました。この「神父」の「神」という字は、わたしたちの信じている天の父の神のことではございません。神様に父がいるはずはございません。「神」は「精神」の神、「精神的な父」という意味であります。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">古いカトリックの言い方では、「霊父」という言葉がありました。霊的な父、本当の肉親の父ではない、霊魂の、あるいは「霊＝神」によって助けられ、指導する父という意味であります。わたしも司祭、司教ではありますが、本当の意味での司祭、先生はイエス・キリストおひとりであり、そのイエス・キリストから依頼されて、不完全にその役を行っている者にすぎないのであります。自分は間違いも犯すし、罪も犯す人間にすぎない事を常に心に深く刻んで、謙遜に奉仕しなければならない者であるのです。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">ミサの中では、司祭がパンとぶどう酒を天の父にお捧げする祈りの言葉があります。これは、司祭でなければ行う事の出来ない役割です。2 千年前にイエス・キリストがおっしゃった、同じ言葉を司祭が口にする事によって、イエス・キリストご自身がおっしゃる事になります。それが、何故可能なのかというと、「神の霊」すなわち聖霊の働き、イエス・キリストの働きがあるとわたしたちは信じているのです。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">その司祭が唱える聖別の言葉「皆、これをとって食べなさい。これはあなたがたに渡されるわたしのからだである」。パンを天の父に捧げます。次にぶどう酒の聖別であります。「皆、これを受けて飲みなさい。これは私の血の杯、あなたがたと多くの人の為に流されて罪のゆるしとなる新しい契約の血である。これをわたしの記念として行いなさい」。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">この言葉を司祭が唱え、天の父にお捧げすると、本当にキリストのからだ、キリストの御血になるとわたしたちは信じております。目には見えない復活された主イエス・キリストが現存してくださる。実際にそこにいてくださる。という信仰の理解を深めているのです。司祭は、キリストになりきります。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">ですが、神父も同じ人間です。普段は普通の人間ですので、どうぞご寛容にお願い致します。
]]></description>
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<item>
      <title> 「死者の月」の墓参</title>
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      <pubDate>Tue, 29 Nov 2011 08:31:42 +0900</pubDate>
      <description><![CDATA[
                             <p style="text-indent: 1em;">今月は「死者の月」で、13日の主日のミサ後、福島神父、浅井助祭と有志の皆さんと共に、カトリック府中墓地にある成城教会の共同墓所を「墓参」しました。当日は、晩秋の小春日和に恵まれ、街路樹の間から見える晴れた空は高く澄み渡り、清々しい気持ちになりました。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">成城教会のお墓には、すでに18 人の方が納骨されており、本日2名の方が新たに納骨されました。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">福島神父より聖水と香がお墓に捧げられ、聖歌「いつくしみふかき」「復活の続唱」と「あめのきさき」を参加者一同で合唱しました。合唱の中、参加者一人ひとりが献花を行い、亡くなられた方々を心に留め、神によって保証される永遠の安息の恵みと、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」（ヨハネ１１・２５）を実感し、いつの日か再会できる喜びの日が来ることをお祈りしました。このあと、初代の主任司祭大越神父（1988 帰天）の墓前に詣でました。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">11月を伝統的に「死者の月」としているカトリック教会では、11 月2 日を「死者の日」として、全世界で、すべての死者を思い起こして追悼のミサが捧げられています。国民の大多数が仏教徒であるわが国では、お盆や春秋の彼岸時にお墓参りする慣わしがあり、この時期に墓参する方が多いと思います。これがカトリックの「死者の月」に相当するのでしょう。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">仏教徒の家庭で生まれ育った私は、カトリック受洗後の学生時代にも、夏休みには懐かしい故郷に帰省し、8月のお盆にはお墓の前で何を呟いたのかは記憶にはありませんが、手を合わせたことを想い出します。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">福島神父は昨年の月報11 月号（No. 546）で、「主日のミサを捧げるごとに、すべての死者を祈念しています」と書かれています。先に旅立った両親、肉親、友人、知人たちを偲び、再会できることを信じ、新たな気持ちでミサに与りたいと思いました。
</p>
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      <title>七五三のお祝い</title>
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      <pubDate>Tue, 29 Nov 2011 08:30:34 +0900</pubDate>
      <description><![CDATA[
                             <p style="text-indent: 1em;">おだやかな<ruby><rb>菊日和</rb><rp>（</rp><rt>きくびより</rt><rp>）</rp></ruby>の11月13日、10時のミサにおいて七五三のお祝いが行われました。
多くの信徒が見守る中、晴れ姿の子どもたち8名が福島神父の聖水を受け、祝福された千歳あめと聖タデオのおメダイを受け取りました。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">当日の福音「タラントンのたとえ」（マタイ２５・１４－３０）について、福島神父は「神様は私たちを信頼して恵みをあたえてくださった。私たちには、その賜物をきちんといかす責任がある」と説きました。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">また、子どもたちに対しては「ここまで大きくなれたのは、だれのおかげ？お父さん、お母さんのおかげだよ。感謝しましょう。」と語りかけていました。</p>

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      <title>成城教会子どものつどい</title>
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      <pubDate>Tue, 29 Nov 2011 08:29:38 +0900</pubDate>
      <description><![CDATA[
                             <p style="text-indent: 1em;">11月3日（文化の日）「成城教会こどものつどい」のご報告です。テーマは『やさしいこころ～いちばん小さい人ってだぁれ～』（マタイ25・40―45）「最も小さなもの」より。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">教会学校・ボーイスカウト・ガールスカウトの子どもたち44 名が元気いっぱいに楽しい1 日を過ごしました。まずは前庭での福島神父のご挨拶とお祈りです。前日までのぐずついた天気もまずまずの秋空に変わり、爽やかな空気の中でのスタートとなりました。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">初めて同士の子も対面する緊張をゲームでほぐした所で、信徒会館2 階で7 グループ毎に分かれて着席、各グループのリーダーたち（教会学校・各スカウトの皆様）のサポートのもと、胸に提げた3 枚綴りカードでドキドキの自己紹介＆トーク。1 枚目に名前、2 枚目に自分のプラス面を記入。3 枚目にはちょっと勇気を出してマイナス面も…。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">お昼は全員でオニギリと、ガールスカウトのお母さんたちお手製の美味しい豚汁を大好評のうちに頂きました。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">聖堂に移動し、テーマに沿ったアニメ「たいせつなきみ」を鑑賞後、いよいよミサに与りました。福島神父がお説教の中で今回のテーマの「タネあかし」を織り交ぜながら、誰もが神様のお恵みを受けて生きていることを語られました。カトリック信者でない子も、暮らしの中での「祈り」をより身近なものとして理解を深めてくれたのではないでしょうか。そし混成部隊の楽隊も意気はバッチリで、美しいハーモニーを響かせていました。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">最後に簡単な感想文を書いてもらいました。普段一緒に遊ばない子同士が絆を深めた事が大きな収穫という意見が多く、意外な自分の発見もあったようです。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">福島神父、シスター宮脇を始め、教会学校関係者、スカウトのリーダーの皆様とお母様方、そしてお力添え頂いた全ての方々に育成部一同、心から感謝申し上げます。
</p>
]]></description>
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      <title>高齢者の祝祭</title>
      <link>http://www.seijo-church.com/event/archive/110925.html</link>
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      <pubDate>Wed, 09 Nov 2011 11:56:54 +0900</pubDate>
      <description><![CDATA[
                             <p style="text-indent: 1em;">9 月25 日（日）に高齢者の祝祭ミサが行われました。さすがに高齢者の祝祭とあって、多くの高齢の方々で聖堂が埋め尽くされました。福島神父は説教の中で、ワールドユースデーで巡礼に参加したことの報告と、留守の間に、お願いを守ってくれたことに感動したとコメントされました。そのお願いとは「皆さんが無事でいたこと」でした。何事も無かったことと、皆さんの素直な気持ちがうれしかった、と話されました。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">ミサ終了後、信徒会館にて、お祝いの食事会が開かれ、開会にあたり、石原運営副委員長が、今回、出席出来なかった赤羽運営委員長のメッセージを読みあげ「お元気で祝祭の日を迎えられ、おめでとうございます。平均年齢が高いと言われている成城教会ですが、成育年齢と肉体年齢が一致せず、現役で頑張っている方もいらっしゃる」と結びました。続いて、聖ドミニコ女子修道会のシスター・宮内が食前のお祈りを唱えてくださり、星徹さんの音頭で「健康でいられることは神さまのお恵み」と感想を述べてからいよいよ乾杯！応えて出席者の元気なカンパーイの声が大きく響きました。教会学校の子どもたちからは歌のプレゼント。</p>
<br />
<p style="text-indent: 1em;">そして福島神父からは祝福されたカードが「いつもありがとうございます。おめでとうございます」と、一人ひとりに声をかけながら手渡されました。さらに、福島神父と出席者とのジャンケンゲームで大盛況。次は山田満さんのリードにより「学生時代」など数曲を全員で合唱した後、今回のお祝いの用意を手伝って
くれた中高生が紹介され、福島神父とアヴェ・マリアの祈りを唱えて、和やかなうちに、お開きとなりました。</p>

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