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10月のメッセージ

月報 第635号

「一粒の麦」

山本 量太郎 (カトリック成城教会 主任司祭)

「一粒の麦」という焼酎をいただいたことがあります。もちろん、麦焼酎でしたが、芋焼酎の本場である鹿児島県産だったのは意外でした。

「一粒の麦もし死なずば」という有名な小説もあります。フランスの小説家アンドレ・ジッドの百年ほど前の有名な作品です。若い頃読んだ記憶だけはありますが、自伝的作品だったかなということ以外は情けないことにあらすじもろくに覚えていません(「狭き門」のほうは鮮明に思い出すのですが…)。

インターネットで検索してみますと、「一粒の麦」という名前のレストランが何と真っ先に出てきました。きっと、さまざまなものが次から次へと見つかるのでしょう。

でも、「一粒の麦」のもとはいうまでもなく聖書にあります。もちろん、キリストご自身のお言葉、「一粒の麦は、落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」からきています。(ヨハネによる福音書12章24節)

新約聖書にあるキリストのお言葉の中で、最も有名なものの一つであることは間違いありません。一般の辞書にもその説明が載っているのが、その何よりの証拠です。私の手元にある国語の辞書には、「一粒の麦は地に落ちることによって無数の実を結ぶと説いたキリストの言葉から、人を幸福にするためにみずからを犠牲にする人、またはその行為を指す」という、とてもていねいな説明が載っています。

今はそれ以上くわしい説明をするつもりはありません。わたしがどうしても言いたいのは一つだけです。それは、一粒の麦とは何よりイエス・キリストご自身にほかならないということです。

キリストは、人々に向かって一粒の麦の解説をしたわけではありません。弟子たちに対して一粒の麦になりなさいと言ったわけでもありません。ただ、一粒の麦として十字架の上で死んでいかれたのです。

その結果は、キリストのおっしゃったとおり、いや、行ったとおりでありました。一粒の麦であるイエス・キリスト、その死は実に多くの実を結びました。そして、それからも実を結び続け、二千年たった今も世界中で多くの実を結んでいます。

「一粒の麦が地に落ちて」という聖歌があります。心の中で歌いながら、記します。

「一粒の麦が地に落ちて死なないなら一粒のまま残る。
 一粒の麦が地に落ちて死ねばいつも豊かに多く実を結ぶ。
 自分の命を愛する人はこれを失い、
 この世でいのちを惜しまぬ人はそれを保つだろう。」(「教会聖歌集」14)


月報10月号
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