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7月のメッセージ

月報 第622号

「殉教者中浦ジュリアンの祝日に」

山本 量太郎 (カトリック成城教会 主任司祭)

高校生のころ「関ヶ原の戦い1600年」くらいしか暗記できなかった私が、いつのまにか、1582年という同じ年に日本とヨーロッパで起こった二つの出来事を中心にしてその時代を考えるようになりました。私の頭の中で、その当時の日本とヨーロッパとがそれなりにつながっているのです。

日本で1582年に起こったことといえば、まず第1にだれでも織田信長が本能寺の変で殺されたことをあげるでしょう。確かに日本の歴史を変えた大事件に違いありません。でも、私にとっての1582年はなにより、天正遣欧使節の4人の少年がヨーロッパに向かって旅立った年なのです。その一人が後に司祭となり、殉教し、今は福者に列せられている中浦ジュリアンでした。

すでに日本に宣教に来ていたイエズス会の神父たちは、日本人の若者をヨーロッパに派遣して日本人の優秀さを知ってもらうとともに、かの地のキリスト教がいかにすばらしいものであるかを見聞きさせ、帰国後、日本人たちに直接語らせることによって布教上の成果を期待したものと思われます。

一方、ヨーロッパの1582年は、ローマ教皇グレゴリオ13世が、後に「グレゴリオ暦」と呼ばれるようになった新暦を発布した年です。それまでの暦が10日ほどずれてしまっていて復活祭の日付の確定に困難を生じていたので、教皇は強権を発動して、その年の10月4日の翌日を15日にして切り換えてしまいました。

このグレゴリオ暦は、もちろんカトリックの世界にはすぐ広まりました。カトリック国ポルトガルの支配下にあったインドのゴアでは発布の翌年、すでにこの新しい暦が使われていたことが分かっています。そのゴアに、その前年日本を出発した4 人の少年が長い船旅の後、到着し、グレゴリオ暦に接した最初の日本人となったのです。彼らはさらに旅を続け、2年後の1585年にはローマに到着、新暦を発布したグレゴリオ13世その人にも謁見しました。

4人はその5年後の1590年、迫害の時代になっていた日本に戻って来ます。1人はキリスト教を離れてしまいますが、他の3人は司祭となり、なかでも中浦ジュリアンは1632年に捕らえられるまで職務を全うし、翌1633年、長崎で穴吊りの責めを受けて壮絶な殉教の死をとげました。「沈黙」で有名になったフェレイラが棄教したのもその時でした。

中浦ジュリアンは9 年前、天正遣欧使節の中で初めて福者に列せられました。彼は7月1日に祝われる「福者ペトロ岐部司祭と187殉教者」のうちの一人です。ペトロ岐部の感動的な生涯はよく語られますが、中浦ジュリアンの生涯もそれに勝るとも劣らないものがあります。「私はローマに赴いた中浦ジュリアン神父である」という彼の最期の言葉が聞こえてくるようです。


月報7月号
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