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2月のメッセージ

月報 第595号

「自由」

福島 一基 (カトリック成城教会 主任司祭)

中学生から神学校という特殊な環境の中で生活していました。その頃「自由」という言葉に大きな憧れを持っていました。共同生活ですので、当然いろいろな規則があります。外出することなど、ほとんどが許可を取らなければなりませんでした。初めはそれも神学生として当然のことであると思っていましたが、思春期の多感な年頃です。反抗期も重なり、隠れて行う規則破りが常習化していきました。規則を破ることでその束縛から解放されているように感じていたのでしょうか。またそれが「自由」であるかのように勘違いしていたようです。青臭くも懐かしい思い出です。

その後、神学校を辞め一般の大学生になりました。規則ずくめの生活から一変し、「自由」な大学生となることができたのです。しかしわたしはその状況に対応できなくなっていました。初めは期待に胸を膨らませていたのですが、この「自由」をどのように使ったらよいのか分からないのです。規則がないところでは「自由」を満喫できなかったのです。とても滑稽な話です。あれだけ「自由」を求めていたはずなのに、「自由」を手に入れてみたら、自分を見失ってしまったのです。結局大学を辞める羽目になりました。

しばらくして、なぜかまた神学校に入り直しました。当然規則ずくめの生活が待っていると思っていたのですが、先輩たちから「ここは世界一自由な神学校だ」と言われました。生活の規則はある程度ありますが、以前の神学校では考えられないくらい「自由」です。しかし今度はさすがに自分を見失うことはありませんでした。この「自由」の中で自分を律することを学ばせていただきました。そして何よりも「自由」は神の恵みであることを実感できました。

「自由」は人間の権利であり、人間らしく生きるためにとても大切なものです。それは人間が神に愛されているしるしでもあります。だからこそ「自由」を大切にしなければなりません。しかしこの「自由」を行使するにはある程度の人間的な成熟が必要となります。「自由」は好き勝手をすることではないからです。何よりも「自由」は人間の尊厳を認めるところにあります。そしてこれは当たり前のことではなく、神よりの愛の恵みなのです。

「言論や表現の自由」に関心が高まっているようです。確かにわたしたちの権利とし大切にしなければならないものです。しかしこれもまた神の恵みとして受け取らなければ、人間の尊厳を傷つけ合う要因となってしまうのではないかと非常に危惧するこの頃です。聖霊の導きを願います。


月報2月号
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