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4月のメッセージ

月報 第563号

「春の喜び」

福島 一基 (カトリック成城教会主任司祭)

ようやく暖かくなってきました。太陽の日差しが何よりも暖かく感じます。南向きの窓の前でこの春の日差しを浴びると幸せな気持ちになります。どんなに高性能な暖房器具でも、この暖かさを得ることはできないのではないかと思います。それだけではなく、日差しを浴びると何となく力が湧いてくるようにも感じます。この季節に桜が一斉に開花するのもうなずけます。


それでもまだ外に飛び出すことができません。その理由はスギ花粉にあります。春の日差しの中、今まで丸めていた背筋を伸ばして気持ちよく歩きたいのですが、鼻水とくしゃみでそんな気分も吹っ飛んでしまいます。ウキウキした気分に「待った」をかけられているようです。これから数週間はこのスギ花粉との戦いです。


多くの日本人が悩まされているスギ花粉なのですが、こんな状況を作り出したのは、実はわたしたち人間ではないかと言われています。戦後の復興期、建材として価値の高い杉がたくさん植林されたそうです。しかし高度経済成長において日本の林業は衰退し、外国産の安い建材が使われるようになり、せっかく植えた杉がそのままにされてしまいました。このこともスギ花粉の増加につながっているそうです。ですからスギ花粉に罪はありません。人間に見捨てられた杉が、なんとか自分たちの命を守ろうとせっせと花粉を生成しているのですから。


わたしたちも同じでしょう。人間だって見捨てられそうになれば、なんとか自分を守ろうとしますし、また自分を守るために周りを傷つけてしまうこともあります。そういえば、人間が過去犯してきた愚かな戦争の多くはこのスギ花粉に似ているように思えます。このような歴史を繰り返しながらも、未だにわたしたちは見捨てられることを恐れ、自分勝手に都合の悪いものを排除し、自分たちだけの都合を押し通そうとしているようです。


この季節に「待った」をかけられることは決して悪いことではないのでしょう。そういえばイエスさまが伝えたかったことも、自分勝手に都合よく生きている人間たちに「待った」をかけることだったのかもしれません。そしてこの「待った」は当時の人間を苛立たせましたが、詩編118 にあるように「家を建てる者が退けた石が隅の親石となった。これは主の御業、わたしたちには驚くべきこと」となっていったのです。もしかしたらスギ花粉が驚くべき恵みに変貌するのではないのか。そんな期待を持ちつつ、復活の神秘を黙想しているところです。


月報4月号
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