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9月のメッセージ

月報 第556号

「勘違い」

福島 一基 (カトリック成城教会 主任司祭)

生まれてきてこれまで、何度勘違いを犯してきたことでしょう。特に、若いときの 勘違いは思い出しても恥ずかしいものばかりです。勘違いから有頂天になったり、また怒りにうち震えたり、絶望したり、それによって人や自分を傷つけてきました。いきなり反省文のようなことを書いてしまいましたが、もちろん今でも勘違いを繰り返してしまいます。日常の出来事の中で、その勘違いから喜びと悲しみを繰り返し、今まで何とか生きてこられたのも、神のみ業であると思わざるをえません。それでもまだ一向に勘違いし続けている自分に辟易もしますが、その揺り返しのうちに真実を見つけられるのではないかと希望をもって生活しているところです。


善悪の判断は本来的には神の座にあり、それを犯した人間の根源的な勘違いこそ原 罪と呼ばれるものであると旧約聖書は語ります(創世記3 章参照)。やさしく善人面する人も、逆に強面で悪人面する人も、自分が正しいと思うこと、また、悪いと思っていることを判断している時点で、原罪を背負った人間であることを明らかにしていることになってしまうのでしょう。できれば勘違いしないようにと、人間は様々な努力をしてきました。歴史を学ぶ事の本質はそこにあるのではないかと思います。そしてまた、聖書という書物(もちろん歴史を書いているだけのものではありませんが)は、人間の勘違いを書き留め、同じ過ちを繰り返さないようにとの願いも込められているように感じます。そして人間が宗教に帰するのも、やはりこの勘違いから身を守るためなのではないかと思います。


しかし、いくらそれらの努力があったとしても、人間は同じ過ちを繰り返します。 また、繰り返さざるをえないような状況に追い込まれます。なぜそうなるのか説明できません。しかし、勘違いは人を傷つけるだけのものではありません。時には人を燃え立たせ、命を輝かせ、恵みとなることもあります。たとえば、恋愛や召命などが例になるのかもしれません。


神学校の入学試験の時に、ある司祭から「召命は勘違いから始まる」と言われました。衝撃的でした。この言葉は神学校に入学しても、そして実は司祭となった今も、自分の心に残っています。確かにあの頃の思いの大方のところは勘違いでした。いろいろな気づきもあり、今もその召命の道を歩みつづけていますが、まだまだ自信を持てません。ただそれを探求し続ける使命も、ひとつの召命であると受け止めています。勘違いも含め、すべてを神に委ねていけるよう心より願います。


月報9月号
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