ホーム はじめての方へ カトリックとは 成城教会について ミサのご案内 行事日程 教会の活動 入門講座・勉強会 トピック

2月のメッセージ

月報 第537号

「恵み」

福島 一基 (カトリック成城教会 主任司祭)

 最近「あなたは恵まれている」と言われると、あまりいい気分になりません。なぜでしょうか。逆に「大変ですね」と同情の言葉をかけられると少しホッとしてしまう自分がいます。大変であるというのは、苦労が多いと言うことなのでしょうか。確かに司祭をしていたら当然苦労するものです。司祭の仕事は教会のために苦労することなのです。人から「大変ですね」と言われると、少しは仕事をしている証しであると受け取っています。


 司祭であることは恵みです。なった自分で言うのも何ですが、やはり司祭は簡単になれるものではありません。どんなに真面目で成績が良く、人間的にも優れていると言われても、それが絶対的に司祭になる条件にはなりません。これこそ恵みです。すなわち神様からいただいたものです。自分ではどうすることもできません。


 この自分ではどうすることもできないと言うところが大切なのかもしれません。司祭は叙階の秘跡を受けるまでも大変なのですが、実は司祭になってからが大変なのです。先ほど申し上げたように、何しろ教会のために苦労すること、キリストがわたしたち人類のためにご自身を渡されたように、わたしたちも教会にこの身を渡すことが司祭としての条件であり、なすべきことなのです。自分のためよりも教会のことを優先させなければならないのです。幸田司教様が青年たちから司教の給料のことを質問されたとき、司祭と同じ額であるとお答えになりました。そして確か「わたしたちは仕事の分量によって報酬を受けるのではない。自分の儲けを考えていてはこの仕事はできない」とおっしゃっていました。まさしくその通りであると同感したところでもあります。


 苦労してたくさん報酬を得ていたら、その苦労は大したものではありません。見返りも受けずに苦労してくれるからこそ、そこに愛があると言えます。そしてその愛は無駄にはなりません。これこそキリストが示してくださったものです。十字架でこの上なく苦しまれましたが、復活という報酬のために行ったわけではありません。自分の苦しみをも神からの使命、恵みとして受け取っていたからこそすべてを献げたのです。だから十字架はキリストの愛のしるしであり、教会のシンボルなのです。


 司祭を続けられるようにお祈りくださいとお願いしたところ、「そんな志の低いことを」と怒られたことがあります。でもやはりお願いします。今年も司祭として恵みのうちに過ごすことができますように。


月報2月号
月報PDFの閲覧にはログインが必要です
Get Adobe ReaderPDFファイルの閲覧には Adobe® Reader® が必要です。ダウンロードしてご覧ください。