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平和旬間2013



2013年08月11日
14:00 映画上映、平和を願うミサ(主司式:森一弘司教)

8月11日、成城教会において多摩南宣教協力体の企画として、映画上映と平和を願うミサが行われ、猛暑の中、たくさんの人々が聖堂に集まりました。午後2時、開始にあたり町田教会の小池亮太主任司祭は「この企画が平和について考え、探り、祈り続ける礎(いしずえ)となれば幸いです」と述べられました。


今では数少なくなった35ミリフィルムの映写機が聖堂に設置され、チャールズ・チャップリンによる音楽つきサイレント映画「街の灯」がスクリーンに映し出されました。ユーモラスな場面には度々笑いがおこり、主人公が目の不自由な花売りのために奔走する様子に引き込まれていきました。そして、目が見えるようになった彼女と主人公が再会を果たすラストシーンは心に残るものでした。


上映後の休憩をはさみ、オルガンとフルートの演奏が聖堂に響き、会衆は心静かに平和を願うミサに臨みました。ミサを主司式された森一弘司教は説教の中で「街の灯」に触れ、次のように話されました。


「主人公から見えてくるものは、この世界に居場所がない人間の姿である。しかし、「街の灯」では、この、社会に居場所がない主人公が誰かの人生を照らす光となった。何によって彼は希望の光となりえたのか。それは、彼の存在そのものが優しさにあふれていたからである。彼は目の不自由な花売りの女性の人生の支えになっていく。彼の能力でもなく、才能でもなく、財産でもなく、彼の存在そのものが彼女のために一生懸命になっている。それが、社会の底辺で押しつぶされていく人間の悲しみに灯をともし、希望の光を与えていくのだ。そこに、福音の原点があると感じた。チャップリンが演じる主人公の中に、小さな一人に対する神の思いが表れているようだった」。


続けて、森司教は、経済的、社会的に裕福な者たちによって作られた国のシステムが、そこで生きる一人の人間を痛めつけることがある。そして、国や民族といった問題になると、他の国あるいは他の民族を痛めつけることが、正当化されることすら起きている。これは現代社会の大きなゆがみであると指摘したうえで、次のように述べられました。


「しかし、私たちはそれにのまれてしまっていて、気づかず流されている。例えるならば、ゆでガエルである。変温動物であるカエルは、周りの温度に合わせていけるので、釜の中に入れられても、沸騰して死んでしまうまでその中にいることができる。今の日本社会はぬるま湯に浸っているという気がする。経済的な豊かさを一生懸命求める一方で、それによって自分自身が精神的に枯渇していくことや、底辺にいる人たちの命へのまなざし、人間の尊さへの視点が見えなくなってしまっている。そして、民族全体、国全体が何か動こうとするとき、無批判にそこに流されてしまう。目覚める必要がある。人間一人ひとりが、かけがえのない存在であるという、その尊さに対する目覚め。それを踏まえないと、キリスト者である意味が消えてしまうのではないだろうか。毎年、平和旬間で平和について考えているが、まず私たちは、私たち自身が大きな組織や国の中に飲み込まれて、ゆでガエルのようになってしまっていることを認識することが必要である。そして、キリストと共にキリストに出会って生きていきたいならば、福音の原点に常に戻っていくという自分に対する厳しさ、そしてそこから声を上げるという誠実さが求められている。チャップリンの映画を題材として、私たちが福音的なメッセージを自分なりに受け取って、それに答えていくことができるようミサを続けましょう」。


ミサの最後に、平和を実現させるために一人ひとりが派遣されていくよう祝福を受けて、この日の企画は終了しました。


11月のメッセージ

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