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多摩南宣教協力体 1月の司祭巡回ミサ

多摩南宣教協力体 司祭巡回司式


2010年01月24日
10:00 主司式:天本 昭好 神父(カトリック町田教会)
      共同司式:福島 一基 神父

天本神父による説教
天本神父による説教

 1月24日、町田教会の天本昭好神父においでいただき、福島神父との共同司式によりミサが執り行われました。


 天本神父は、朝インターネットを開き、電車の時刻を検索して成城教会にいらしたとお話を始められました。今の日本はパソコンや携帯電話に接続するとすぐに大量の情報にアクセスでき、身近で必要不可欠な存在になっているだけに、ネットに繋がっていないと神父様も不安になるくらいだとおっしゃいます。


 このようなネット社会では、大量の情報をかき分け、整理し、本当に自分に必要な情報を見つけていく能力が求められています。しかし、あまりにも大量なせいで送り手が誰なのか、受け手が誰なのか、お互いに顔の見えない関係の中で情報が伝達されている社会、これが今の日本の社会の一面です、と問題提起をなさいました。

 さて、このことは福音とどのように繋がってくるのでしょうか。



 今日の福音はルカ福音書の1章と4章が結び合わされて朗読されました(1・1-4,4・14-21)。1章の冒頭はいわばルカ福音書の序文的な部分です。4章はイエスが宣教の開始にあたって故郷ナザレの会堂で聖書を朗読したというところです。この2つが結び合わされている意味を考えていくと「物語」という言葉がキーワードになっています。今日のメッセージを端的にいうならば、福音が語り手と聞き手、あるいは情報の送り手と受け手の顔の見える関係の中で、それを意識して物語られているのです。「物語」とは昔話や作り話ではなく、語り手・聞き手ということを意識して使われているものだといえます。では、このルカ1章の中で語り手は誰かというと、み言葉のために働いた人、聞き手は誰かというと、福音記者ルカを代表させていますが「私たち」です。その聞き手が物語を語るために書き起こしたものがルカ福音書です。


 さらに深く読んでいくと、1章の冒頭に述べられた語り手、つまりみ言葉のために働いた人々はどういう人であったかというと、後半の4・21でイエスが「今日あなた方が耳にしたとき実現した」と語りかけられたあなた方と理解できます。このイエスの言葉を聞いていた聞き手であったはずのあなた方は、み言葉のために働く語り手になっていきました。ここでは、語り手は語り手のまま、聞き手は聞き手のままという関係ではありません。かつて聞き手であったはずの私がみ言葉のために働く語り手になっていく、その関係を示す言葉として「物語」が意識されているのかもしれません。そこでは人の顔がはっきりとわかる関係で福音が語られています。


 私たちはカッコ悪い姿よりもカッコいい姿の中で生きていきたいと願ってしまいます。それゆえに第2朗読でのパウロが言うように、見劣りする部分を覆い隠そうとしてしまいますが、しかしイエスは見劣りする部分を見栄え良くするために福音を告げているのではありません。たとえどんなにほかの人より見劣りしたとしても、それをそのままで受け止めるイエスがいます。そしてそのままの状態から私たちを立ち上がらせてくれるのが、イエスの福音の基調・根源にある姿勢なのだと思います。


 私たちが福音を告げるということは、み言葉のために働く語り手になるということです。そしてイエスが私たち自身を信頼しているからこそ教会も生まれてきたのだと思います。私たちが聞き手で終わるのではなく福音の語り手になっていく、その思いを改めて思い起こしながら、今日共にこのミサの中で祈っていきましょう。



 天本神父はこのようにお説教を展開され、締めくくられました。ミサ後は、改修された多目的集会室で中高生によるコーヒーサンデーにお立ち寄りいただきました。信徒の皆さまも大勢で座ってコーヒーがいただけるようになり、ゆったりとしたひと時が流れました。


11月のメッセージ

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