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神の栄光を示す

― 待降節黙想会 ―

2016年12月11日
講話 : 嘉松 宏樹(かまつ ひろき) 神父 (カトリック中央協議会)

12月11日、10時のミサ後に、恒例の待降節黙想会が催されました。 講話にはカトリック中央協議会の嘉松宏樹(かまつひろき)神父をお招きし、来たる主の降誕を思いながら、一同で祈りのひと時を過ごしました。

嘉松神父からは、待降節を過ごすうえで以下のような話がありました。

降誕の物語を伝えるルカ福音書は、天使たちが羊飼いに「いと高きところには栄光、神にあれ」と告げたと記しています。ミサの「栄光の賛歌」で歌われていることばです。では「栄光」とは、何でしょうか。 聖トマスは、「その方が持っている一番よいものを、人が認めること」という意味の説明をしています。神様に栄光を帰すとは、「神様がお持ちの一番よいものをわたしたちが認めること」です。神様がどんなによい計画をお持ちであっても、わたしたちがそれを認めなければ、それは神様に栄光を帰すことにはなりません。

神様がお持ちの「一番よいもの」は、わたしたち人間を救おうとする御心です。その御心をわたしたちが認めること、これが神様に栄光を帰すことにつながるのです。

わたしたちに神様の御心を伝える場、それは典礼です。ミサは、キリストの受難の現在化で、人間を救おうとする御父の御心を果たすために人となり、そのためにいのちをささげた御子のわざです。こうして御子は御父に栄光を帰されたのです。

だれかが人に従う(たとえば子どもが親に従う)というとき、おそらく3つの場合があるでしょう。第一は「怒られるから」といった場合、第二は「褒美をもらえるから」という場合、第三は「大好きな人を喜ばせたいから」という場合です。御子はいわばこの第三の理由で、愛によって父である神様の御心を果たすために地上に来られました。それが、御父の栄光になりました。

ですから、クリスマスを迎える準備をするというとき、神様の望みは何なのか、何が神様を喜ばせるのかを考えるのはとても大切なことになります。たとえば、何かを節制する場合、そうしないと地獄に行くかもしれないからとか、そうすればダイエットになって健康にもいいからというのではなく、神様が喜んでくださるからという理由でそうするということです。それが「神に栄光」を実現することだからです。

何か行動を起こすとき、何が神様の栄光につながるかを考えてみましょう。それは「主の祈り」の「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように」にも通じます。では、わたしたちがどう行動したら神様は喜んでくれるのでしょうか。

「いつくしみの特別聖年」で教皇様がわたしたちに思い出させた心身にかかわる七つの「いつくしみのわざ」「神様をこそ、喜ばせるわざ」です。人間が救われて生きることにつながるものだからです。衣食住の問題をかかえた難民の問題が連日報道されています。病人を見舞い寄り添うことは、キリスト者としての務めであり、神様の望みの一つです。また、わずらわしい人を受け入れ、自分を侮辱する人をゆるすことも「いつくしみのわざ」です。

御子はわたしたちを救おうと人になり、自分のいのちをかけて愛のわざを実践されました。御父がそれを望んでおられたからでした。こうして御子は御父に栄光を帰しました。クリスマスにあたって「天に栄光、地に平和」を考え、神様が何を望まれているかを常に考えて自分の生活を整えていく、そうすることで神様に栄光を帰す機会にしていければと思います。

講話の後にはゆるしの秘跡が行われ、一人ひとりが待降節の出来事と神様のいつくしみに思いをめぐらせながら、降誕を迎える準備を整えました。


11月のメッセージ

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