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信徒発見から150年 現代の教会を考えるひとときを

~待降節黙想会~

2015年12月13日
10:00ミサ後
講話:中嶋 誠志 神父(長崎教区司祭)

12月13日、小雨の降る中、待降節の黙想会が行われました。

10時のミサのあと、聖堂にて日本カトリック神学院より中嶋(なかしま) 誠志(さとし) 神父(長崎教区司祭)をお招きして、お話を伺いました。講話の中で、中嶋神父は次のように語られました。

18年前に私は長崎で叙階され、司祭になりました。当時、中嶋という司祭が私を含めて 4人いました。それが、この18年の間に先輩たちは天に呼ばれていきました。私は1人残されて、今では東京に派遣されています。当時はいろんな人から「親戚ですか?」と聞かれて、「違います」と何回繰り返したか分かりません。

神学生を養成する長崎の機関で「長崎コレジオ」という学校があります。そこの2代目の院長に、中嶋ケンジという神父様が就きました。4年前の5月17日に亡くなりました。私にとっては唯一頼りにしていた先輩でした。

「188人の福者が聖人になるには、奇跡が一つ必要だったよね。おこがましいけど、私をそのために使ってくれないかな?」その言葉で、しるしを生きる最後の 1年が始まりました。

彼がターミナルケア病棟に入って読み続けていたのは、キリシタン時代の日本人司祭についてでした。どんな境遇にあっても信者に仕えた日本人司祭と、時を越えて向き合おうとしたのでしょうか。その思いと霊性はすぐに形になります。ターミナル病棟のスタッフの一員であるかのように、毎日聖体を割り、信者の悩みを聞き、人々が務めを終える最期まで看取(みと) っていました。できるだけ後悔することのない司祭職を生きたい。自らに課したこの牧者の務めは亡くなる3日前まで続けました。私は、受け入れるのがこんなに難しいとは思わなかったです。

「受け入れきれんば、満足に捧げきれんとさね。捧げることができんば、心から感謝することはもっとできんとさね。私のために祈ってね、まもなくだから」。私にささやいた言葉です。受け入れること、捧げること、全てを感謝すること…気づけばそれは、殉教者が求めた道でした。

私は4月に長崎教区から派遣されてきました。私にとって突然の派遣で、実は長崎を離れて東京に来るのはとてもつらいことでした。 できるだけ東京に着かないように、最後の抵抗を考えました。飛行機でなく新幹線で来たりもしました。「受け入れきれんば、満足に捧げきれんとさね。捧げることができんば、心から感謝することはもっとできんとさね」という言葉が頭をよぎりました。しかし、受け入れきれず、簡単に感謝できないのが本当のところです。

今年は信徒発見から 150年の節目の年です。信徒発見までの250年余り、日本の教会のキリシタンたちは、ひそかに信仰を受け継いでいました。司祭不在の教会でも、信仰は続けられていました。奇跡的なこの出来事が起こった同じ年、宣教師たちがまず取り掛かった仕事が「日本人司祭の育成」でした。宣教師が当時の大浦天主堂に3人の若者をひそかに住まわせ司祭を養成した、これが長崎神学校の始まりです。しかし、今年長崎神学校に入学したのは、1人でした。この記念の年にたった1人です。この出来事は長崎の教会にとって、現状を黙想するしるしになっています。

はじめから伝えられた変わらない教えは、信徒発見の前より受け継がれてきました。今度は私たちが伝える番です。かつて先輩たちはひそかに信仰を守り伝える仕組みを作り、神様の望みに協力していく、次の世代の人々を育てようと二つの心を育てました。一つは、「イエス様の残された教会を守る心」、もう一つは「司祭職を愛する心」です。神様の恵みをこの世にもたらす司祭職の重要さを、かつての教会メンバーは自覚していました。

ここ数年の間に司祭不足の問題だけではなく、小さな修道院の閉鎖が相次いでいます。1年に毎日一つずつくらいのスピードで、日本では修道院が閉鎖しているとのことです。少子高齢化は教会にも確実に影響を及ぼしています。

組織学を学んだところ、組織には「問題処理型」と「未来創造型」というものがあるそうです。「問題処理型」は、問題が起こったら、今の状況をどうすれば解決できるかを考え、改善していくという方法です。対し「未来創造型」は、今現在“最も残すべきもの”を残す組織です。信徒発見から 150年。今日求められているのは未来創造型の教会作りなのではないでしょうか。

講話の後は「赦しの秘蹟」が行われ、イエス様の降誕を待ち望みながら、日本におけるキリスト教の歴史についても思いを馳せる黙想会となりました。


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