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神様に呼ばれて

― 黙想会講話 ―

2015年03月22日
講話: マリア・パウラ宣教師
(セルヴィ・エヴァンジェリーカトリック宣教師の会)

3月22日、うららかな陽気の中、セルヴィ・エヴァンジェリーカトリック宣教師の会のマリア・パウラ宣教師をお招きして四旬節の黙想会が開かれました。マリアさんは講話の中で次のように語られました。

私の国(ポルトガル)はカトリック信者が多い国ですが、家族はもともとあまり熱心な信者ではなく、教会に行く事もなかったので、私自身にとって教会は憧れの対象でした。しかし成長するにつれ、神様を信じられなくなり、だんだんと教会から離れてしまいました。同時に、心にはさみしさや虚無感が残りました。17歳の時、付き合っていた人が毎週日曜日に教会に通っていた関係で私も一緒に通うようになりました。そこの神父に出会って、いままでの考えがすっかり変わりました。彼はゆるぎない信仰を持っていました。 「神様を本当に愛している、信じている」という彼の気持ちを通して、私自身に神様の愛が伝わってきたのです。今まで気づいていなかったけど、実は私は神様にこんなにも愛されている、とても大きないつくしみを与えられているのだと目が覚めた気がしました。その時の体験を宣教師に話したところ、「神様はあなたを呼んでいらっしゃるんじゃないかしら」と言われました。その時はとてもびっくりしました。熱心でもなく、未熟な自分が?と、戸惑いました。同時に、大きな喜びを感じました。こんなにも素晴らしい“愛”を伝えるための役に立つことができたらなんて幸せだろうと思いました。そして召命を受け入れ、宣教師になりました。

入会してしばらくして、日本に行く話があった時は、文化も違うので適応できるかと心配しましたが、神様の御心ならば未知の世界でもきっと導いてくださるのだろうと思い、震えながらも日本に来ました。日本に来てからは戸惑いもありましたが、神様が一人ひとりに聖霊を注いでくださっているのだと感じました。宣教師とは、何かを教えるだけではなく、一人ひとりの心の中の神様の声を応援するのが仕事なのだと今では感じています。皆さんも宣教者です。それぞれがおかれている環境で、使命が与えられています。神様は皆さんを必要としています。イエスは一人で十字架を担うことができず、シモンの助けを借りて十字架を担いました。シモンとは、私たち一人ひとりです。自分が与えられている賜物は自分だけのものではなく、隣人に分け合うためにあるものなのです。必要とされているのは、今です。私たちは神様に必要とされていて、十字架を背負っているイエスは私たちに何を求めているのかを感じましょう。

ある日、とても疲れていたときに黙想会をしました。そのとき私は、イエスが背負っている十字架が私の傷であると感じました。疲れ、ストレス、人とのかかわりの中で自分自身をなくしたり、罪悪感があったり。みんなそれぞれ傷を持っています。その傷を、イエス自身が自分のものにしてくださっているのだと気づきました。イエスはずっと十字架を背負い続けています。そして、私たちを十字架上から引き寄せてくれています。私たちは時々、傷がついたままで閉じこもってしまうときがあります。イエスが引き上げてくれるのを拒否してしまいます。でもイエスは絶えず十字架の上から話しかけて、叫んでいます。 「そのままではだめ、あなたはもっと元気に生きることができる。私は諦めない。私にはその力があるから。あなたは毎日新たな自分で生きることができるんだ」と話しかけてくださっているイエスの声に、どうぞ耳を傾けてください。


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