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京都教区小立花忠神父の初ミサの説教



2013年06月09日
10:00 小立花 忠神父(京都教区)

年間第10主日(ルカ7・11-17)の6月9日、3月に京都で叙階された小立花神父が、助祭として過ごした成城教会を訪れ、初ミサを捧げてくださいました。その時の説教をご紹介します。


棺に触れ、声をかけただけで、今日の福音のナインの若者は死からよみがえりました。このイエス様の奇跡を見た人は「これこそ神のみ業だ」と驚いたに違いありません。死者がよみがえるのは、第一朗読(列王記上17・17-24)にもあるようにエリヤも若者を主の力によってよみがえらせました。しかし、イエス様の奇跡とは異なっています。エリヤは人がいない階上の部屋で若者をよみがえらせますが、イエス様は人々の前で奇跡をおこなっています。エリヤは子供の上に3 回も身を重ねる必要がありましたが、イエス様は棺に触れただけです。エリヤは神様に対して「主、我が神よ、この子の命を元に返してください」と祈っていましたが、イエス様はナインの若者に「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と直接、声をかけられました。また、よみがえった若者はエリヤの時は、すぐに話し出したりせずに「あなたの息子は生きている」と母親に宣言する必要がありましたが、イエス様の場合は、よみがえらされた若者が物を言い始めるくらい完全な奇跡の業なので、奇跡が行われた宣言の必要がありません。人々の反応も異なっています。エリヤの時は「主の言葉は真実である」と分かった、了解できただけですが、イエス様の時は、その場にいた人々が神を賛美し始めています。人間がよみがえるという同じ奇跡なのですが、エリヤとイエス様は、全く異なっていることがわかるでしょう。


2000年前に神は完全にそのお姿をイエス様を通して示されました。そのお姿とは、人々に対して心から憐れみの気持ちを持つお姿です。子供を亡くしてしまうという悲しみを味わっている母親に対して、その母親を何が何でも救いたい、安心させたい、喜ぶ顔が見たいと思っておられます。だから、こうして、今、行っているミサを残してくださいました。ミサの中でイエス様は完全に現れてくださいます。「これは、わたしの体」という聖別の言葉の後で、司祭がご聖体を皆さんにお見せしますが、そのご聖体はイエス・キリストそのものであり、完全に2000 年前と同じように、私たちは神のお姿を仰ぎ見ることができるのです。それは、神の憐れみの心なのです。皆さんの置かれている状況が困難であればあるほど、皆さんを救いたい、安心させたい、喜ぶ顔が見たい神様は、その身を裂いて、元気づけるために、勇気を与えるために、笑顔になってもらうために「ここに私がいるよ、大丈夫だよ、安心して!」と大声で叫びながら私たちに食べられる、つまり、完全に一致する、イエスと私が一つになるために来てくださるのです。私たちは福音の母親と同じように神の憐れみを受けているのです。


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