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司祭巡回ミサ 「王であるキリスト」

多摩南宣教協力体 司祭巡回司式


2009年11月22日
10:00 司式:高木 賢一神父(カトリック町田教会)

高木神父による説教
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 2009年11月22日、多摩南宣教協力体の司祭巡回ミサが実施され、成城教会においては町田教会の高木賢一神父の司式により、典礼の1年を締めくくる「王であるキリスト」のミサが執り行われました。


 ミサの冒頭、王であるキリストの祭日について、第2次大戦前にファシズムが台頭してきたころ、時の教皇が本当の王は誰であるかを問うためにこの祭日を定められたことをお話しくださいました。


 ヨハネによる福音(18・33-37)の朗読の後、「わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆わたしの声を聞く」という言葉の意味を中心に、以下のようにお説教を進められました。


 「真理について証しするとは、言い換えれば神の姿をはっきりと示すこと、といえます。神の業は多くの人が知ってはいたものの、神の真意を測りかね、顔を見失いがちになっていました。この後のヨハネ福音書では、イエスの十字架の歩みについて述べていくのですが、隠されていた神の真実の姿は十字架上のイエスの苦しむ姿のうちに示されることになります。神の本当の姿をはっきりと示す歩みをした方がイエスであるとヨハネ福音書は伝えているのです。


 次に王とは、絶大な権力の持ち主という意味とともに、神のみ旨を行う存在も王と呼ばれてきました。ピラトはここで前者の意味でイエスに質問していますが、これに対しイエスはあくまで神のみ旨を行う存在としての理解に立って答えています。言葉のやり取りがちぐはぐなのは、あえて両者の理解の相違を際立たせることで、福音書を読む人に王という言葉の意味が何であるかをもう一度考えさせる目的があるのでしょう。


 それではイエスが宣べ伝えようとした神のみ旨とは何でしょうか。創世記(1・28)の「産めよ、増えよ、…地に満ちよ」という言葉のように、命の豊かさが行き渡った状態を神のみ旨・神の支配といってよいと思います。神の似姿として神の命を宿すものとして創られた人間が、命を謳歌し、全うすることを神が心から深く望んでおられることは、十字架につけられ、社会から拒否された弱々しい姿でも、神は良しとされ受け入れてくださることを示しているといえます。イエスの苦しむ姿には、父なる神がイエスと共に、またわたしたちと共に苦しんでいることが示されているといってよいのでしょう。それを踏まえ、イエスが神のみ旨を人々に伝えたことによって、わたしたちはキリストこそ真の王であると信仰告白をしているのです。


 さて常日頃、わたしたちは困難にぶつかると、神は語りかけてくださらないと思うことがありますが、そうではありません。人と人との結びつきや、大きな命との関わりの中にいる自分の存在のあり方に気づくならば、神の姿はそれまでと大きく変わって見えてくるでしょう。そのためには自分の殻を破り、イエスの十字架の姿のように自分を委ねる姿勢が求められると思います。


コーヒーサンデーで歓談
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 改めてイエスの歩みを振り返りながら、イエスの十字架の姿に示されている真実・父なる神の思い・人間が最後にどこにたどり着くべきかを思い起こしてみたいと思います」。


 以上のようにお説教を結ばれました。


 この後、高木神父は婦人会によるコーヒーサンデーにお立ち寄りになり、軽食や飲み物をとりながら、成城教会の信徒たちとゆっくりご歓談くださいました。この日福島神父は喜多見教会でミサ司式を行われましたが、2回目の司祭巡回ミサは12月13日に実施され、喜多見教会の安次嶺神父が待降節第3主日を司式なさいました。

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